作家の秦恒平さんから、コメントをいただいていた。祖母の葬儀からこのかた、もう20年以上、お目にかかっていないのだが――。
九条歌人の会に対してほかならぬこの人(本家の九条の会賛同者にして、歌集『少年』の作者)が、「散文でできることではないのか」という誠実な疑問を『短歌現代』で書かれていたのを思い出す。
古典に不勉強な僕は、それほどよい読者ではない。その上であえて、マイブーム(?)を挙げると、まず『迷走』になる。
『迷走』ねぇ――。本気ですか、という人もいそうなので、若干補足。
作者ご自身、
「『編集者もの』『課長もの』をまた書くかと訊かれる。書きたいものを、書く」
といささかぶっきらぼうに「あとがき」に書かれたが、医学書院での激しい労使対立を背景とするこの作品は、他の作品群と比べていささか孤立した感がある。1976年の出版当時も、「あの古典愛読者がこんな分野を」と受け取られただろうし、内容的には、突き詰めた反体制の文学者の作品――たとえば、74年に刊行された、高橋和巳の『白く塗りたる墓』(初出は70年)のように、主人公が内部告発の果て、やがて職場からはみ出して破滅していくであろうことを予見させるような結末にはなっておらず、最初に読んだときは、そのあたりを物足りなく思ったはずである。ひょっとしたら、お手紙でも差し上げたかもしれない(今となっては恥ずかしい)。
この作品の面白さがわかったのは、ひょんなことから、校正者として、査読つきの雑誌――社会科学系だが――に出入りするようになり、出版関係の末端に関わるようになってからである。70年安保の前後、出版労連加盟組合OB(どういうわけか大手が多い)のしきりに懐かしむ『英雄時代』の内実はどうだったろうか。権威主義的な医者の世界との共犯関係の中で生きなければならない編集者のすがたがあり、恵まれた会社の中での労組の「騎虎の勢」への批判を主人公の妻が口にする。このあたり、出版太郎『朱筆』の医書の価格をめぐっての指摘とも共鳴しつつ、今日にもつながる問題なのだ。医学書院労組(出版労連の有力単産の一つ!)の活動家たちは、この作品の刊行時、怒ったか、頭をかいたか――。
もちろん、30年以上前に書かれた小説である。出版社の経営組織など、必ずしも同じではないかもしれない*。「コピー取りのおばさん」「庶務課のおじさん」は、非正規社員にかわっているだろう。もっとも、製作ならまだしも、著者への依頼や細かな交渉ごとは、非正規社員には任せられるとも思えないから、他の産業のような非正規の基幹化ではなく、なんらかのかたちで仕事を切り分けるという程度なのかもしれないが。それにしても、231人のヒラに対して、部課長49人という制度は、日頃、割付・校正している人事管理の論文とはやはり別の世界である。
*人文・社会系では、新卒採用を控えている会社では、部下なしに近い有能な課長を、僕自身何人か知っている。
代表作である『みごもりの湖』は実は僕には読みこなせていない。たしかに渾身の力を注ぎ込んでいるという感じはするし、学部時代、クラブでいっしょだった、フェリス出身の、船長の娘さん――小川国夫ファンだった――は、この作品を高く買っていた。静岡や地中海の明るい風土の小川作品と、滋賀や京都を舞台にした秦作品では対照的なので、おやっと驚いたことがある。今年の夏、万葉集を読むのと並行して、読み直すことにしよう。
サイトによると、秦さんに、『抱擁』を送られた方がいるそうだ。対位法的作風の作家にはなかなか鋭いファンがつくものである。中島京子『FUTON』『イトウの恋人』など、どのように読まれるのだろうか。感想をお伺いしたい気がする。
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