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2007年1月23日 (火)

仕事やでぇ!

仕事が続いた。

実は、21日にゲラを1本宅配便で出してきたばかり。今日の午後2時に無事到着とのこと。
一昨年からちょくちょくいただいている、
『日本労働運動資料集成』
今回は第2巻 1947~49年のうち、1948年前半分。

公務員から争議権を奪った政令201号をめぐっての国労の職場放棄闘争は、地名と人数の連続である。

Photo なにしろ、学校を出てまだ間もない見習いの少年が、「合宿所に行け。同志が待っている」「帰りには赤短靴をやる」と言われて行ってしまう。共産党関係の人たちの家に泊めてもらう形で逃避行を続けるが、同志は来ないし、食糧はないし、で結局逃げ出し、親に連れられて出頭したというような記録。少年十字軍を思わせるような経過――

別のページでは、小本線などという聴きなれない路線が出てくる。戦時中の突貫工事で押角トンネルが素堀りのままだったため国労が運行を拒否するのである。ひょっとすると、

駅長:「青の洞門」を知らねのが。素堀りだど。今でも使われてるど。だから大丈夫だって。

組合側:馬鹿こくでねえ。あれは小説だべ。それに俺だづの機関車が通るんだど。あんだら、何見てるんだじゃい。

くらいの問答があったかもしれない。

地図を見ると、険しい山の川沿い。現在、岩泉線の駅として残っている押角駅はかつてはスイッチバックになっていて、そういえば秘境の駅として、時折テレビで取り上げられていた。

当時、鉄道の争議がショッキングだったのは、「国鉄一家」といわれる体質にもよるのかもしれない。なにしろ、北原白秋作詞・山田耕筰作曲「鉄道精神の歌」では、

いざ奮へ、我等、我等ぞ、大家族二十万人、奮へ我等

Photo_26 とあるくらいだ。家父長的な大家族の一員たるべき少年鉄道員がよりにもよって職場を放棄し、怠業行為をやる……。もっとも、組合側も、近代的な個の結合だったわけでもなかったかもしれない。大塚久雄門下の労働法学者・藤田若雄が指摘したように、誓約共同体としての労組という視点よりも、「同じ釜の飯を食っているのだから」「先輩の言っていることが聴けないのか」という家族主義に立脚していたのではなかったか。

いわゆるガリ版はそれほど読みにくいものではない。紙の劣化こそ問題だが、産別民同グループのある文書など、きれいで読みやすい筆跡なのに驚く。

活版でも何より活字のタイプが違うし、現在の文章に慣れたものからすると、読点で句点を代用する形式の文章は、面白い。昨年、別系統で、アメリカの学者が日本の労使関係論研究史をまとめたものの訳を校正したことがあるが、「社会政策学会趣意書」など原資料にあたってみると、やはりマルでなくすべてテンだったことを思い出した。

原資料は誤植の山。労組の機関紙でマ元師というのが大きな初号活字で見出しになっていたりする。ただ、内容を読み込むのに熱中しすぎるのは禁物で、われわれわれれれになっている――これはゲラを印刷した印刷所のミスプリント――のを見逃したりしかねない。一瞬ヒヤリとした。

――少し、しゃべりすぎたかもしれない。

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