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2007年11月10日 (土)

最近の読書(1)

ここしばらくの読書。
無印は読了、△は部分的に手をつけたもの

P1010207 田井安曇歌集『春の星』不識書院『山口村相聞』砂子屋書房△弥勒』不識書院
単独でのインパクトということでいえば、『春の星』がやはり一番鮮やか。というか、この集の歌が詠まれた頃、私自身が、他の結社のメンバーだったため、総合誌で幾度か田井作品は眼にしている。

・伊佐々村栗原いずく今日来たり墓いくつ読み夕べとなる
・書くことを拒まれてわがあるゆえに道の上の嫗にも訊くわけにゆかぬ
・ここにえにしありし一人を求め来てこのぬばたまの一と夜眠るも
・かの人のついに見ざりし粟島の雪とおもいて砂やまを越ゆ
・湯に下る一首あざやかに思いでて若かりし君をついにかなしむ
・日一と日水はふくらみてありしゆえかなしき人を率行くまぼろし
・書き了えんとしつつ去来はつつましく継ぎたる一人虚構にはみでし一人
・夜の坂のここの曲りになずさいし霧はたちまち後になりぬ
・たいせつに勤めて日々を過ごせれば夜は早く寝ね歌少な少な

といった名作(一と日 の、とを小書きにしていてそれが効果を出しているのだが、ウエブでは再現できない)を含む「霧いくたび」は角川の「短歌」で読んでコピーをノートに張っていた覚えがある。当時は、背景など頭になかったが、あとになってみると、宮本利男という歌人の伝記を書くために取材旅行をした際につくられている。この歌集のおわり近くに位置する「理想」と題された一連は綱手創刊のころのもの。朝日新聞の短歌欄で紹介されているのを見た記憶がある。

『山口村~』は、桃原邑子さんの出てくる「靴」や「「東風平」、「坂の雪」や、そして、出崎哲朗の出て来る「伊那・三河・山城・武蔵」と、あらためて懐かしく読み直す。
ただ、三ケ島葭子に関係する一連になると、どうなのだろう。上記の諸作品や、『経過一束』での赤根谷善治を詠んだ作品と比べてみると、インパクトは強くない。まあ、あちらが、同時代人であり、こちらは大正期の人物でしかもタイトルも「葭子遠足」なのだから比較するほうがないものねだりをしているといえばそれまでだが。

また、たとえば、一茶を詠んだうたでは、

・まなこ怒り足早に江戸に去りてゆく五十過ぎし一茶の梅毒の噂

になると、『右辺のマリア』の

・一茶ひとり一茶ひとりと思いゆくかかる心のいずれにはこぶ

を知っているだけにその暗さ――どす黒さといったほうがいいか――は気になる。

『弥勒』は音数の処理の点で私には追いきれない歌がある。

・死んでいるゆえ美しいうたというものがあるそを拒絶せよ汝(な)は

という志にはやはり背筋が伸びる思いがするのだが、

その前の

・レバノンにシリアにゲリラの処遇をめぐり迫るアメリカと日本の連携

は音数が不安定だし(近藤芳美のような大幅な破調ではないにしろ)、雑報ではないか、としか思えない。

古明地実を悼む「炎」など赤裸々にして沈痛なのだが、いずれ、あらためて。

『いま、社会詠は――WEB時評から発展した論争・シンポジウムの記録』青磁社
吉川宏志が、教育基本法改正に賛成だというのは、少しだけ驚いた。ただ、私自身の立場は困ったことに(?)大辻隆弘がいいたい「いい歌と悪い歌があるだけ」というのに近いのだ。また、高島裕がシンポには参加している。社会科学的認識を一度はくぐった人なので、説得力がある。この辺についてはもう一度読み直すつもり。

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