若林亜紀という物件あるいは見事なカミングアウト
『文藝春秋』3月号の若林亜紀の文章には、笑ってしまう。内容は、ブログとほぼ同じ。ただ、コンピュータ保守の会社に関連していた政治家の名前は、編集部の指示もあってか消してある。それはそうだろう。文春はご夫人にインタビューすることもあるだろうから。
ただ、父親が、小泉純一郎の親戚と、慶應義塾大学時代友人で、その縁もあって小泉の東京事務所は、若林の父の東京の実家に置かれていた、というくだりを読むと、「ああ、さいですか」といわざるを得ない。
テレビで、自民党の支持率があるレベル以下には決してならないのをみていて、長いこと不思議がっていた。私のまわりには自民党支持者というのはあまりいなかったのである。しかし、今回の文章を見れば、わかる。コアな自民党支持層というほどではないにしろ、太陽の周りを衛星が離れられないように、一、二回の他党への投票はあっても結局は自民党――それも右派――に回帰してゆく人というのは、確実にいるのだ。見事なカミングアウトというほかはない。
小泉―竹中ラインが何をやったか、というようなことは当然、まったくといっていいほど目に入らない。安倍内閣については、その崩壊を残念がっていて、これでは、憲法九条第二項を守ることなどできはしないだろう。なんといっても、戦後レジームからの脱却を唱えた内閣なのだ。そして、小泉批判を展開したのも、ホージン――カタカナにするとなんと下品な響きになるのだろう――をつぶしてもらえなかった一時の恨み以上のものではない。
「しかし、彼女は天木直人の選挙を手伝ったではないか?」「天木直人に公的だったではないか?」 そう考えられる方もおられるかもしれない。しかし、これも計算済みと考えていい。天木が当選できないのは目に見えていたのだ。仮に大接戦になるという予想でも各紙が載せる情況であれば、彼女はこんな冒険はしなかったろう。肝心要の親分――本当に「極道」だという説もあった――を落とすような下手を打ってしまっては元も子もないでないか。このカモフラージュに、これにまんまとひっかかった「市民派」を私は知っている。
渡辺喜美への応援にいたっては、まじめに語るべきものを「コメディ」にしてしまったとしか言いようがない。その父は勝共推進議員で、統一協会から秘書を派遣されていたのだが、息子は神道政治連盟や日本会議のメンバーなのだ。こんな人と手を組んでどうしようというのだろう。しかも、独法祭りのあと、東証を視察したりして――いうまでもなく東証は行革の直接の対象ではない――、財界への挨拶怠りない政治家。経済産業省と厚生労働省の縄張り争いというのは、近視眼的であり、そのままは採用できないが、小うるさい規制官庁だの、商品テストをする機関だのは片付けますからね、というのは、好意を持って迎えられただろう。
「官僚支配を倒すためには誰とでも手を組む」などとおっしゃりそうである。しかし、それほど無原則に共闘というものはできるものだろうか。
かつて、岩間陽子『ドイツ再軍備』で読んだ、グスタフ・ハイネマンのエピソードがある。軍事ブロック反対の署名を集めていて、その中に、ネオナチのグループによるものを大量にみて、彼らと共闘はできないといったそうである。偏狭というなかれ。再軍備反対論は、戦争経験から来る絶対平和主義者、ノンマルクシストの左派、告白教会を中心としたクリスト者、といったいろいろなグループの寄り集まりであり、当然、そこには、偽装した国家社会主義者による加入戦術がありえたのだから。
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