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2008年3月31日 (月)

民科

歴史学の本の校正。どこまで赤をいれるのか。かなり悩む。軽快に進んでいたようだが、見直しをすると、字下げの見落としを拾ったりする。

P1010569 民科歴史学部会というのが出てくるのだが、実は、死んだ父は、若い頃、自然科学部会に入っていた時期がある。証拠品は画像の葉書。BSへ行くうんと前。そんな人間が大阪府立工業奨励館から、BSになぜ行ったのか、母に聞いてもはっきりしない。民科にいた人間にあの会社が住みやすいところとは思えない。

母の話で判断する限り、父をそれほど左とも思えない。妙に坊ちゃん風をふかすところがあったようだから。あ、「左翼運動」? やってませんね。ひところの、NHKの連続テレビ小説だと、あの時代の旧制高校生や大学生は、みんな左翼ということになっているが、竹内洋が指摘するように、それはかなり事実と違うようだ。

戦時中に学生生活を送っていて、同じ下宿にいた東京農大の学生が検挙されたのを見たというが、これも母の聞いた思い出話。ただ、あの時代の生まれの人間は、科学方法論に凝るらしく、ポアンカレやリッケルト、果てはレーニン(『唯物論と経験批判論』の戦前の岩波文庫)までいちおうは蔵書にあった(本当に読んだかは知らないが)。

2008年3月29日 (土)

仕事に一区切り・ことしの桜

たらたらとやっていた、仕事の一区切りがついたので、お祝いに(?)HMVへ注文。
ハスキルとリパッティの未発表音源(TAH366)。これは、だいぶ前に出ていたのだが、ハスキルの「来たれ、異邦人の救い主よ」はすでに持っているので、この曲だけダブり買いになるのを嫌って買い逃していたもの。リパッティにも同じ曲があるので聴きくらべをすすめているのだろうが……。29日店から出荷。

P1010509_2P1010542_3P1010560_3 28日、気分転換に近所の桜をやたらと撮り、吉田秀和『永遠の故郷 夜』を近所で買う。週刊文春(3月27日号)の片山杜秀書評に影響されるところ多し。横にあるのは、昨年、買ったフォーレの歌曲全集。何せCD4枚組みなので、まだ2枚めを聴き終わったところ。『永遠の~』にしても、フォーレにしても、急ぐにはもったいない。

29日、近所のラオックスで、玄関のクリプトン球を補充、帰りに古本屋で、藍川由美『これでいいのか、にっぽんのうた』『「演歌」のすすめ』(どちらも文春新書)、上田三四ニ『この世 この生――西行・良寛・明恵・道元』(新潮文庫)。

2008年3月27日 (木)

仕事は進んでいるが。

P1010475_2  26日は好天。髪を刈りにいく。仕事はまだ数章だけ残っている。もっとも、一瀉千里にやっていて、ほめられることではない。

図表に、西川『人口』とあるので、てっきり西川俊作氏かと思い、検索したが見当たらず、西川潤で引くとヒットした。

そう、仕事関係がなければ、私は、俊作氏の名前は存じ上げなかっただろう。学部時代からそのあとも、西川といえば西川潤だった。この「第三世界のスーパースター」(そんなあだなが当時あった)からは経済学史を習った。私の学部は、いわゆるマル経ベースの学史がなく、これにかわるものとして、彼が教えておられたのである。もともとは、『カルヴァン経済思想の確立』が修士論文だった人だが、公明党支持の学者としても活躍しておられた。もっとも、現在の公明党は、西川先生の思想とだいぶはなれているし、『潮』や『第三文明』にも執筆されなくなっているようだ。

27日は植木等一周忌。さすがに去年のようなブームはないが、これは、本格的な評伝が書かれないこともあるのだろう。週刊ポストでやっていた、戸井十月の評伝にしても、遅すぎたし、資料の多くをナベプロによっているのではないか。アメリカを何でもかでも引き合いに出すのもしゃれたことではないが、少なくとも、日本は回想録の執筆が約束事になっている国ではないな、とも思う。たとえば、60年安保での政治参加と、70年のぬるさとについても、もっと早くに誰かが聞いておくべきだったろうし、それは、芸能界とは無縁の人――たとえば歴史学者――によるほうがよかったのかもしれない。

2008年3月23日 (日)

復活祭

P1010481ゲラを一本ずつ出しにコンビニへ。近くの桜がほころびている。昔見た『ピロスマニ』や香月泰男の随筆では、『キリストはよみがえりたまえり」「まことにキリストはよみがえりたまえり」と人々が挨拶しあう印象的なシーンがあったが、あれほどではない――第一、西方教会だし、日付も違う――にしろ、春が来たと実感できる日。

だらだらと仕事をしているむくいで今年も教会には行けず。ああ。

2008年3月19日 (水)

アンドリーセン『国家』

000003830651_3 『音盤考現学』にのせられて注文したアンドリーセン『国家』独ElektraNonesuch (9 79251-2) 、宮崎市のCD店より届く。状態きわめてよし。全35分なので、仕事の前に聞いてしまう。おもしろいが、けっこうたけだけしい曲である。歌詞として、プラトンから引用されているのは、
●III 397b7-c2
●III  398d1-399a3
●III 399c7-e7
●IV 424c3-6
の都合4か所。アンドリーセン自身による英文解説(ギリシア語で歌われているのだからいわば歌詞英訳)にA.D.リンゼイの名があるのも、政治学科出身者としては嬉しい。
曲がたけだけしいのは当たり前だろう。第3番目の引用箇所箇所及びその直後では、音楽によって、戦士としての市民を勇敢ならしめる、ということを論じているのだから。その意味ではプラトンの思想に忠実(?)なのである。

さて、軍楽つながりでいうと、戦前の軍楽隊は、どういう教育的な価値を付されていたのだろうか。あの数々のマーチは、市民に無料で提供されていた。3月10日(陸軍記念日)の東京大空襲の直後、放心したような人々の前、路上を軍楽隊が行進していったことは、『戦争中の暮しの記録』で知ったが、戦前、一番安価に聞ける音源の一つだったはずである。そして、演奏会では、ジンタの類はサービスしたのだろうか。それとも禁止されていたのだろうか。

2008年3月17日 (月)

仕事はしているわけで。

仕事はしておるんかい、といわれそうなので、一応、報告。
しておりますよ。一昨日、受け取ったのが、これ。

08giants_l1_4 対校(いわゆる読み合わせ)をやったのは、何年ぶりだろう。表組みを2人であわせるのは、楽に思えるが、は、呼吸が合わないと物凄く疲れるものである。実は、これをやったときは左目がごろごろして、2時間おきに点眼していた。相手は50くらいのベテランで、さぞお気を悪くされたと思う。結局、あまりにつらいので、初校を終えたところでリタイア。仕事を世話していただいた大学の先輩にも、ベテランの人にもご迷惑をおかけしてしまった。

08kokoro_l1_3 こちらは、昨年末と今年の1月に、初校・再校とかかわった。92ページに富山県射水市などという地名を見ると、かのN郡長を思い出し、どんなところかと思う。校正の参考にと提供された写真のコピーはなんのことかさっぱりわからなかったが、色校正になるとだだっぴろい麦畑の上をツバメが飛んでいる写真とわかり納得。

アンドリーセン、結局あのあとユーズドを注文した。宮崎の店からクロネコメールでやってくる。多少の難は覚悟しつつ、高橋和巳の作品、たとえば、『革命の化石』とか未完に終わった『遥かなる美の国』を勝手に連想しながら楽しみにしている(人文研の系譜!)。

2008年3月15日 (土)

メディア、そして素材乞食

少し前の事になるが……3月5日に外へ校正に出たとき、帰りに買った日刊ゲンダイ――クリントン撤退かというスタンドのビラに引かれて買ったのだが――には、びっくり。例のミニチューズデーの結果が、クリントンの辛勝だったこともあり、そちらの記事も外していたのだが、それよりも「殺人者が平和に生活している」というリード文である。

第二面を読むと藤本哲也・中大教授(一昨年の自民党側公述人)による説明と、板倉宏・日大教授による「一部の犯罪に限っては共謀罪を導入してもいい時期に来ている」という談話。、一昨年、あれほど戦った講談社系メディア。それが、三浦和義というツボをつかれるとこれである。

ダメを押すように、『週刊現代』。ある女性歌人が、三浦氏と「寝た」経験を語っているのだ。その人の以前属していた結社では、戦場カメラマンが歌集を出して注目されていたが、今度は、風俗嬢が容疑者との時間を語る……ですかい。断っておくが、プロの女性をいやしんでいるのではない。歌人として、露出上等!とばかり、その日の話題に飛びつくのは、素材乞食、話題乞食じゃないか。自分のミゼール――どんな仕事をやってもついてくるのだ――を深く掘ること以外に芸術もなにもでてこないだろうに。

インタビュアもインタビュア。各句の間を一字あきにするという間の抜けたことを平気でやっている。カナモジカイかい! むかむかして収まらない。

こういうときは、それこそ、意外な音楽でも聴きたいものである。アンドリーセンの『国家』をウェブで探す。新品では手に入らない。丹念に秋葉原を回ったほうがいい状態の盤に出会えるようだが……。

2008年3月14日 (金)

片山杜秀『音盤考現学』

縁あって母宛てに送られてきたものをちょいと失敬した。文句なしにおもしろい。
著者お得意のフレーズをまねるなら、まさに、「片山杜秀、待望の一冊だ!」というところである。

P1010471_2 P1010472_3 学部時代は慶応で日本政治思想史を専攻したというから、てっきり内山秀夫の弟子かな、と思っていたが、前著『近代日本の右翼思想』によると、蔭山宏ゼミ出身である。蔭山氏といえば、『ワイマール文化とファシズム』で、時代の精神――誤解をおそれずにいえば「空気」を見事に描いた人だ。空気を描くといっても、 よくあるエピソードの羅列ではなく、あまり注目されてこなかった雑誌や群小の思想家への注目を通じて思想を詰めていく方法は精緻である。前著はある意味で『ワイマール文化とファシズム』の嫡子といっていい。

私が思うに、本作では、これにくわえて「同時代人性」ともいうべきものへのこだわりが生かされている。同時代というのは、花山多佳子のうたじゃないか、それこそ、一つの車両に乗り合わせたようなものである。運命といっていい。なにしろ人は時代を選べないのだから。まこと、右翼思想を研究する人としては当然の目線だろう。
全50篇のなかから、思いつくままに挙げてみると――、

「朝比奈隆の『無国籍』」で、朝比奈隆を論じて植田壽蔵――アテネ文庫の『ファン・ホッホ』の著者――にいたるなどというのは今日びの若い衆にはなかなかできないわざである。朝比奈の京大法卒という学歴を崇拝する俗物ならどこにでもいるが、彼が文学部に学士入学し、美学を専攻したことから論を展開していくのは、思想研究者としての鋭さに裏打ちされている人でなければできない。

「武満徹とキャバレー・ソング」の武満と江藤淳というのもいい。大切なものとして「夫婦の愛さえあればいい」と語る武満とそれをたしなめる江藤淳、そして、そのあとの意外な論の進め方。

「アンドリーセンと礼楽思想」は政治思想史家ならではの文。プラトンの『国家』を読んだことのある人なら取り上げられている、オランダの作曲家の『国家』なる曲の」CDを注文したくなってくる。

「石田秀実と『気』」での「気」をめぐっての、あえてゆるい見出しと簡略にして要領を得た文章もいい。対象としているものが、いわば、前著で取り上げた三井甲之にもあった思想が音になったようなものだから、得意中の得意、というところか。

「幻の作曲私塾」での『フランシーヌの場合』の郷伍郎→呉泰次郎→金井喜久子というのも、一本の歴史ドキュメントが成立するような話なのだ(南島関係のサイト――たとえばこれをお気に入りにしている人におすすめ)。

「『国民詩曲』と社会主義リアリズム」は、問題提起的。左と右の類似は、もちろんわかるが、著者のいいたいのはそれだけではないはず。つまり、日本での社会主義リアリズムは、ネイションの創出をかんがえていたのではないか。著者はそのあたり、明言されないから、なんとも、悩ましい。おそらくこれは分量の問題もあるのだろう。答えは、10本もの連載を抱えていた頃の厖大な量のコラムのどこかにあるのだろうか。

2008年3月11日 (火)

お役立ち二つ

10ページほどのリライト関連の仕事、やっと終わる。昨年、植木特集を数本断念してたたき台を準備したゲラが監修者の手を経てもう一度出てきたが、10日のお昼頃、宅急便で送ってしまった。
重宝したのは次の2冊。
P1010466_2  『判例六法Professional』 文字が小さいので購入を躊躇したが、結果的にはよい選択だった。ここ数年『小六法』を使っていたから、有斐閣になじんでしまっている。わざわざ、三省堂の『模範六法』にもどるまでもないだろう。学部時代、最初に使ったのは後者の系統だったし、知っている弁護士はみな三省堂のほうを好むが……。『Professional』は公法と社会法が同じ01巻なので、いろんな運動をされている人に意外とお勧め。もっとも、労働法と民法の整合性という問題があるので02が新しいままというのは「シロートだなあ」と言われても使用がない。
『労働関連法規集 2008年版』 労働政策研究・研修機構の発行。コンパクトで使いやすい。08年版、やっと出て、ゲラの再校チェックには間に合った。お値段も1155円(税込み)。指針や施行規則をいちいちネットで探したりしないで済むのはそれだけでも気分が楽になる。

2008年3月 7日 (金)

『みなさん、さようなら』

公団不要論を読んだ頃に買った久保寺健彦『みなさん、さようなら』。舞台は都営なので、少し事情が違うかな、と思いつつ、PCのすみにあった感想。

私は、団地と呼ばれるコンクリートの箱に住んでいる。だから、主人公が、ある事件をきっかけに一生、団地から出ないという決意をするというのに惹かれて買った。団地を舞台にした教養小説になるのかな? と思いきや、最後は正義と悪の対決ということに……。ちょっとがっかりしたが、これは、私のほうが、甘いのかもしれない。だって、団地は年々住人が減っていくのだ。マンの『魔の山』のような、外から新しいメンバーが入ってきて、入れ替わり立ち代り主人公に影響を与える、というパターンにはなりえない。むしろ、登場人物がそぎ落とされて最後に、重大な人物、つまりボスキャラが出てくるという、ゲームのシナリオ(悪い意味でいっているのではない)に近くなってしまう。主人公が恋愛や冒険をしたり強くなったりするのだから、RPGも立派な教養小説だって?う~ん。 

むしろ、時間の移り変わりの描写――この小説の重要な登場人物は「時間」であると思う――に注目しておこう。冬の大雪による停電で期せずして同窓会をするシーンは、美しい。ブリューゲルの絵のように、といってはいいすぎだろうか。

気になるのは、背景になっているいじめや、少年犯罪の「凶悪化」というのは、取り上げ方次第で、だから厳罰に処するべきなんだよ、というアジになりやすいこと。そういえば、版元は幻冬舎である。石原都知事は、この小説を読んだのだろうか。

2008年3月 2日 (日)

読書少年史1――偉人伝の時代

見事立ち枯れた感のある教育再生会議だが、昨年12月25日に、『社会総がかりで教育再生を』という「第三次報告」を出して一区切りつけていた。総論であげた7本の柱の2本目、「2 徳育と体育」の「健全な子供を育てる~子供たちに感動を与える教育を~」と題された部分で、
「偉人伝、古典、物語、芸術・文化などを活用し感動を与える多様な教科書を作る」
といっている。偉人伝とはなつかしいが、しかし、能天気なものだな、そう思ったのは私だけだろうか。

私の小学生時代(昭和40年代)は、子供向け出版の黄金時代だった。
小学校の2年で校内図書館――最初と最後に必ずクレゾールで手を洗わされた――で最初に借り出したのが、ポプラ社の『ゴッホ――炎の画家』。内容はほとんど覚えていないが、タンギー爺さんに大いに励まされるシーンがあったような気がする。国立国会図書館国際子ども図書館東京都立多摩図書館のサイトで調べてみると、この本は、ポプラ社から、1951~59年に出た100巻ものシリーズ、「偉人伝記文庫」の一冊であり、著者は富永次郎――美術評論家。詩人の富永太郎の弟――だったことがわかる。

それにしても100巻というのは、今では考えられない分量で、1951年から1959年まで(図書館のデータは奥付からとられているだろうから、実際はもっと短期間か)およそ、9年ほどの間、毎月1冊弱出していたことになる。対象となった人物をみると、、大半は偉人伝の常連というか、戦前から現代まで、かならず取り上げられる人物で、
●政治家(含む君主)●実業家●社会事業家●武将ないしは武士●科学者●探検家●芸術家●宗教家
だいたい、この7つのカテゴリー―ー芸術家から特に文学者を独立させれば8つー―のどれかに当てはまる。

性別で見ると100人中、女性は判明している限りでは9人(清少納言、紫式部、加賀の千代、キュリー夫人、クララ・シューマン、ヘレン・ケラー、ナイチンゲール、聖母マリア、樋口一葉)。1割弱というのは、当時の女性の活躍状況からして少ないとはいえないかもしれないが、斎藤美奈子のいう「紅一点」的顔ぶれだろう。とくに、マリアとは! 著者は牧師でもある鑓田研一氏。生涯自体が正確にはわからないし、《史的イエスと信仰のキリスト》ではないが、むしろ、「どう受止められてきたか」のほうが問題になる存在である。人選の基準はどこにあったのだろうか。

いかにも、と思わせる仰々しい副題がついているのもこのシリーズの特徴で、しかもやたら「愛」が安売りされる。
「愛と自由の父」「知と愛の人」「愛の科学者」「愛の宗教家、「愛の国父」「愛の御母」「愛の動物学者」「愛の天使」「愛と芸術の母」「愛の文豪」――。
この10人が誰か、見当がつくだろうか。答えは、順番に、リンカーン、熊沢蕃山、パストウル、内村鑑三、明治天皇、聖母マリア、シートン、ナイチンゲール、クララ・シューマン、徳冨蘆花。知と愛といえば、ヘッセだと思ったあなた、残念でした。しかし、内村鑑三だったら、「愛をたやすく口にするべきではない」と怒り出すのではないか。(以下気の向いたときに続く)

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