縁あって母宛てに送られてきたものをちょいと失敬した。文句なしにおもしろい。
著者お得意のフレーズをまねるなら、まさに、「片山杜秀、待望の一冊だ!」というところである。
学部時代は慶応で日本政治思想史を専攻したというから、てっきり内山秀夫の弟子かな、と思っていたが、前著『近代日本の右翼思想』によると、蔭山宏ゼミ出身である。蔭山氏といえば、『ワイマール文化とファシズム』で、時代の精神――誤解をおそれずにいえば「空気」を見事に描いた人だ。空気を描くといっても、 よくあるエピソードの羅列ではなく、あまり注目されてこなかった雑誌や群小の思想家への注目を通じて思想を詰めていく方法は精緻である。前著はある意味で『ワイマール文化とファシズム』の嫡子といっていい。
私が思うに、本作では、これにくわえて「同時代人性」ともいうべきものへのこだわりが生かされている。同時代というのは、花山多佳子のうたじゃないか、それこそ、一つの車両に乗り合わせたようなものである。運命といっていい。なにしろ人は時代を選べないのだから。まこと、右翼思想を研究する人としては当然の目線だろう。
全50篇のなかから、思いつくままに挙げてみると――、
「朝比奈隆の『無国籍』」で、朝比奈隆を論じて植田壽蔵――アテネ文庫の『ファン・ホッホ』の著者――にいたるなどというのは今日びの若い衆にはなかなかできないわざである。朝比奈の京大法卒という学歴を崇拝する俗物ならどこにでもいるが、彼が文学部に学士入学し、美学を専攻したことから論を展開していくのは、思想研究者としての鋭さに裏打ちされている人でなければできない。
「武満徹とキャバレー・ソング」の武満と江藤淳というのもいい。大切なものとして「夫婦の愛さえあればいい」と語る武満とそれをたしなめる江藤淳、そして、そのあとの意外な論の進め方。
「アンドリーセンと礼楽思想」は政治思想史家ならではの文。プラトンの『国家』を読んだことのある人なら取り上げられている、オランダの作曲家の『国家』なる曲の」CDを注文したくなってくる。
「石田秀実と『気』」での「気」をめぐっての、あえてゆるい見出しと簡略にして要領を得た文章もいい。対象としているものが、いわば、前著で取り上げた三井甲之にもあった思想が音になったようなものだから、得意中の得意、というところか。
「幻の作曲私塾」での『フランシーヌの場合』の郷伍郎→呉泰次郎→金井喜久子というのも、一本の歴史ドキュメントが成立するような話なのだ(南島関係のサイト――たとえばこれをお気に入りにしている人におすすめ)。
「『国民詩曲』と社会主義リアリズム」は、問題提起的。左と右の類似は、もちろんわかるが、著者のいいたいのはそれだけではないはず。つまり、日本での社会主義リアリズムは、ネイションの創出をかんがえていたのではないか。著者はそのあたり、明言されないから、なんとも、悩ましい。おそらくこれは分量の問題もあるのだろう。答えは、10本もの連載を抱えていた頃の厖大な量のコラムのどこかにあるのだろうか。
最近のコメント