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2009年3月17日 (火)

父をめぐる人々(2)大阪府工業奨励館

父が、母と見合いをした当時勤めていた大阪府工業奨励館を「画像」で検索してみると、いくつかのサイトがひっかかる。

大阪DEEP案内は、ヘイトサイトふうのにおいが気にかかるが、しかし、後身の産業技術総合研究所の移転に伴って廃墟になっているそうだ。しかも、戦後すぐから近くの敷地内には占有者がいたという。

大阪リアル不動産図鑑は、名建築のオンパレード。大阪に力のあった時代というのを感じる。東洋のマンチェスターといわれ、堂島では相場が張られた時代。ラムの『エリア随筆』に東インド会社の古びた建物を扱った章があるけど、いまでは別の用途に利用されているものもあるらしい。

やはり奨励館の工業会館が取り上げられていて、落涙してしまった。家のアルバムではここの屋上らしき建物で父と同僚が記念撮影に収まっている。木津川を見ながら仕事をしていたのだろうか。その建物が今は荒れ放題で残っているのだから、もし実際に見たら、号泣するだろうな。名建築という説明がついているが、さて現時点どうなっているのだろう。美術館を持ってくるというような話があったらしいがこの景況下、しかも橋下府政ではまずむりだろう。東京中央郵便局のように稼動していても解体してしまおうとする世の中である。

2009年3月 7日 (土)

すみだトリフォニー、父をめぐる人々(1)

つい数日前まで風邪をひいていて、いまでも身熱がある。体温計をあてると平熱なのだが。原因はわかっている。2月28日のブリュッヘン+新日フィルの「ハイドン・プロジェクト」最終回だ。すでに26日に検査にいったとき引いていたらしかったのだが、インフルエンザじゃないからとなめたのがいけない。それに、すみだトリフォニーホールはやはり遠い。3月7日のハーディングは「幻想」が嫌いだし、日時的に校正が入り見送り。

演奏は、大いに楽しめた。『軍隊』での終楽章のバンドの行進や、98番終楽章のピアノフォルテの泉から沸いてくるような音、101番終楽章の第一ヴァイオリンから始まる旋律の受け渡し(対向配置なのでくっきりする)。

父の奨励館時代の先輩喜多稔さん(故人)の奥様がまだご健在ということが判明。息子さん、娘さんも連絡が取れるようだ。生前、わがままな父をフォローしていただいたことにお礼を申し上げねば。

父が公立の研究所から私企業へ移ったのは、結婚して実家を離れたくなったこともあるが、待遇面でも研究者としては悪くないはずのオファーが来ていたことにもよる。

大阪府技師(「技師」というのがチェーホフで出てきたりするけど、あのイメージ!)の給与はやはり安かったらしい。もっとも、父は細かい点を詰めておかなかったために、赴任先では愚痴の連続になったのだ。たとえば職位は「技手補」で入ることになった。これは屈辱的で、「田舎の足袋屋や!」と、母相手にはいっていたらしい。おいおい。

だが、これはあながち企業が悪いとも言い切れない。僕は、仕事で出入りするシンクタンクでちょうどR&D人材の労働問題を取り上げた論文を校正することがよくあるが、そこから知った知識でいえば、会社に付いているタイプの人たちからすれば、研究テーマに付いてくる「コスモポリタン」ともいうべき研究者は「結構なものだな」ということになりかねまい。今よりはるかに転職がまれだった時代である。

ただ、これはあくまでも後知恵でいえること。当人としてはつらいことの連続で、それを懇切丁寧に文通して聞いて時には諭されたのが喜多さんだった。一度だけ、あまりに父が愚痴をいうので、クギを差されたのだが、そのあとで「姑の嫁いびりみたいなことを書いて済まない」と手紙を下さっている。奨励館ではこの方が一番手紙が多い。

一方、BS時代、久留米、横浜と大変お世話になった久保田尚武さんは、これは奥様のご実家と思しいお店のご当主にメールを差し上げたのだが、「そういう家に嫁いだものはおりません」とのことだった。母の記憶違いだったのだろうか。

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