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2011年9月26日 (月)

定期もの

定期もの、21日に入る予定の原稿が入らず。おかげでとうとう墓参に行けず。宮仕えならまだしも請負というのはこういうとき気が滅入る。気が付けば夕食までパジャマのまま。ゲラは明日でるということだが。

2011年9月23日 (金)

ミニカー(3)

P1020084 今度の帰省で、先遣部隊というべきか、かなり本を持ってきた。中島登『世界のミニカー』(保育社〈カラーブックス〉、1967年)もそうだ。小学生の頃、母に買ってもらい、耽読した一冊。おかげでビニールカバーはとれ、背は丸まっている。ミニカー・コレクターの中には、この本をいわば聖典のように大切に位置づけている人がいるが、今回、三十年ぶりに読み返してみて、うなずかされた。私は今はコレクターではないにもかかわらず。
カタログ以外での、ミニカーに関する最初のまとまった解説書であることだけではない。ミニカーとはなにか、について、かなり厳しい限定をされている(pp.103-107)。中島氏の定義私なりに要約すると、

●実車のモデルである
●材質はダイキャストかプラスチック
●縮尺は1/40以下
●完成した状態で楽しむ

の4原則になろうか。
このいわば中島4原則、ブリキおもちゃブームから入った人たちには違和感を感じるかもしれない。

しかし、ミニカー収集の、独立した趣味としての確立に際して、この方針こそがよかったのだ。
●第1の定義を貫くと、テレビの特撮番組やアニメに出てくるような、いわゆるキャラクターミニカーの排除されてしまいかねない。実は、バットモビルもチキチキバンバンもボンドカーも、60年代のコーギーが出して大ヒットしているし、著者自身、解説部分の、「TV映画に登場の評判の車」というキャプションの白黒写真では、ボンドカーとバットモビルらしきモデルがでてくるのだが。だが、子供の玩具からの独り立ちという点ではまずはこの定義が必要だったろう。

●第2の定義は、ブリキや木でつくられたモデルの排除。

●第3の定義は、適度な縮尺での精密さの追求ということである。大きくつくれば細部の再現はそれだけ簡単になり、あまりに小さければ単に実車の形をしているだけということになりかねない。

●第4の定義は、ライヴァルであるプラモデルの存在を考えれば、領域を確定させるためには必要である。

もちろん、「ミニカーそのものが子供の玩具から発達してきたもの」ゆえ4つとも多少の揺れは認められているのだが。

話が少しそれた。歴史的な意義以上に、中島氏の文章が上質なのである。きわめつけはこれ。

「ミニカーが存在するのは、物質的意味においてよりも多く心の中の思い出としてである」

2011年9月19日 (月)

ミニカー(2)

P1020146_3 例のキャンベル・プロテウス・ブルーバード、その後、中性洗剤を薄めて綿棒で磨いてみた。ミニカー関係のブログはたくさんあり、実車用のワックス・ソフトQQで磨いたりする人もおられるようだが、これは、そこまでやると危ないだろう。プラスチックをコーティングしているようなものではないので、ペンキと同じと考えたほうがいい。とにかく、ゆっくり、やさしく。もちろん、デカール部分は触れない。

コレクターはさすがにきれいに保存している。たとえばブログ「やまだくんのせかい」(153aを所有しておられる)。

P1020136_2 私の持っているのはカタログナンバーでは153(1960年発売)となっていて、のちに、153aと呼ばれるモデルで部分的な変更がなされているらしい。このあたり、書籍のエディションの違いのようで面白い。
コーギーについては、英語版のWikipediaでもかなり長い記事があり、また、Mr.Andrew Woodの包括的なホームページがある。60年代の名車満載。それによると、153(1960)から153a(1961)では

・タイヤの変更=ホイールが合金(alloy)からプラスチック

という違いがあるが、それ以外にも、年次とは別に、ヴァリエーションがあるとのこと。すなわち、

・デカールの国旗=左ユニオンジャック、右星条旗のモデルと、左右ともユニオンジャックのモデルとがある。なお実車は左ユニオンジャック、右オーストラリア国旗。

・青い鳥の有無=青い鳥がいないヴァリエーションがあるらしい。

なお箱絵(あまり似ていないのが愛嬌)は153もユニオンジャック2つで青い鳥はいない。箱絵については、実に面白い語り口のページが、と2回に分けて扱っている。

2011年9月14日 (水)

紅萌ゆる(2)

P1020099_4 文章ばかりで、画像がないと、「ソース出せ、ソースを!!」というつっこみがはいるかもしれない、ということで、まず、『三高同窓会会員名簿(昭和32年12月現在)』の表紙。ご覧のとおり現物はネズミにでもかじられたのか、表紙は小さな穴が開き、写真もいまいちピリッとしない。
P1020086_3 続いては、藤原甲子郎の近辺(2.と3.)。レイアウト上、所属先が2段にまたがってしまったので画像も2つ。こうしてみると五十音順なら松田神父様と近い。P1020087_2

そして、「同期」の二人。P1020088

上田さんは詳しい年表の類だとわかるので残したが、ほかの方々は住所はモザイクにした。何せ半世紀以上前である。

P1020085_2 住所もいまさら加工する必要はないと思うが(もしこれでも、という方はこちらにご連絡ください。但し掲載されているご本人、またはそのご家族、著作権継承者に限ります)。

「お父さんが偉いのはわかったよ。そういう君は何なんだい?」……
(カサカサカサ……)←逃げる音

というのはジョーク。私は父にはるかに及ばないノンエリートの一人にすぎぬ。

2011年9月12日 (月)

父の命日

今日は父の命日。一命を取りとめたはずが、容体が急変して亡くなったのが1964年の9月12日午前8時半すぎ。
仕事を届けるため、電車に乗って小平を過ぎる。あの日も日差しが濃かったろうか。午前中で仕事が済んだので、よほど帰りに小川に寄り道しようかと思ったが、それは止した。

小川に寄るのなら、父のことを調べるためにせめてBSの資料館に行きたいし、それには今日の服装は軽すぎる。事前の連絡を入れておいたほうがいいかもしれないし、白っぽくなったナイロンバッグを下げてあのあたりをうろつくと「久留米の足袋屋」(父の表現)にバカにされるだろう。

2011年9月 6日 (火)

紅萌ゆる

「同郷の遠縁がナントカ学会の大ボス(東大名誉教授)なので、自分は『中堅私大』――便利な言葉だ――だけど同じ分野を選んだ」、という人がいた。その人の郷里は苗字が二つか三つしかないらしい。

世間が狭い奴だな、日頃、進歩的なことを言っているのとは逆にコネ(本人に言わせれば人脈)で世の中を渡るつもりだったんだろうな、と思った。私の周りは、ここまでひどいのはいないにしろ、案外みな、先例主義で進路を選択しているのかもしれない。

こういうことを書いたのは昭和32年12月発行の三高同窓会の「会員名簿」を見てしまったからである。今さら名前を挙げては、"Too Late!"というほかはない人たちが、同期だったり、すぐ下だったりしているのだ。大学に受かった時にすぐこれを見ておけばよかったのは事実。

――上田三四二氏(昭19・9理甲。以下断りない限り同じ)。この歌人が京大卒だというのは知っていたが、まさか三高で父と同年卒とは。入学こそ上田さんが1年上だが、卒業は同年。父が小平に来てからの名簿では上田さんは、国立清瀬療養所だったから、顔を合わせる機会があったろうか。ご遺族にお伺いしたいところ。しかし、寮生活になじめず退寮したという上田氏とは合わなかったろうな。そういうタイプを軽く見るところがあるから。しかも、短歌は高校時代からうまく、なおかつ剣道と射撃(!)に長けているとあっては、歯が立たないからくやしがって、仲良くなろうとはしないだろう。内弁慶なのだ。
――神父になった人もいる。ローマのウルバノ大学に留学中とある。松田友明氏。82年帰天。神父になったといっても高校を卒業してそのままというのではなく、大学は理学部に進まれたことは、氏名のあとに(理)とあることでわかる。
――越智武臣氏も、田中真晴氏も同年卒(昭19・9文甲)。そういえば、大塚久雄も出口勇蔵も先輩である。ウェーバーかトーニーかなどといっても内輪で全部済んでしまうのだな――東京の私学出身の息子はそう思う。よく言えばエリートだが悪く言えば閉鎖的な集団である。
――古田光氏が同年卒(昭19・9文甲)にいるのも驚いた。父の蔵書に、岩波文庫版『貧乏物語』があるのだが、これはどうも古田氏とも無関係ではないかもしれない。ただ、結構権威主義的な父だったから、文理大(名簿作成時には東京教育大学大学院)へ進んだ古田氏を馬鹿にしていたか。
――東北大学の憲法学者の小嶋和司氏――学部ゼミの関嘉彦先生の都立大学時代のエピソードに登場する――もやはり同年卒(昭19・9文甲)になる。これは関先生ご存命中にお話ししておきたかった。
――吉川経夫氏(昭19・9文乙)は、司法試験勉強をしていたら接点があったかもしれない。不作為犯についてのモノグラフがあるはず。

――1年下の文科に目を転じれば、藤沢令夫氏がいる(昭20文甲)。福岡三高会の名簿を見ると『イデアと世界』の著者は九大に赴任していてたから、かなりの確率で出会っているはず。しかし、独仏ならともかく、ギリシア語・ラテン語まで話す藤沢さんの前では手も足もでなかったのか。内弁慶な父である。

2年上には、
――樋口謹一氏(昭17文甲)。京大人文研にすでにポストを得られていた。

存命の方では、
――江崎玲於奈氏(昭19・9理乙)。江崎氏が頭脳流出の先駆けとなったのは父にしては意外だったらしい。江崎氏は中学入試に失敗して一浪後飛び級で三高に入ったのが、中学は現役だった父からみると、「たいしたことはない」らしい。やれやれ。
――富塚良三氏(昭19・9文甲)は。中大の商学部で教えておられた。私の高校時代の友人で税務関係に進んだ男がいて、彼のいうには、ゼミがたるんでいると、夏休み合宿でビンタを張ったという。温厚な彼は恐れをなしたのか、それとも、マルクス経済学が彼の性にあわなかったのか富塚ゼミではなかった。しかし、これは都市伝説なのか。もっとも、丸山眞男だって、藤原弘達をなぐったそうだからまるきり嘘とも思えない。(*間違いがありましたので訂正しておきます。スパルタは別の教授)
――品川正治氏(昭20文甲)。同友会のハト派。文科だから在学中徴兵されており、「9条の会」関連でもよく名前をお見かけする。
――竹岡勝美氏(昭18文乙)。元自衛隊幹部にして護憲派!  小泉イラク派兵の際、こういう考え方もあるのだな、と感心させられたバランスのとれた人。専守防衛論に立たれる。どういうわけか父の名簿には、竹岡氏(当時国警大阪府本部)チェックが入っている。
――秋山虔氏(文芸評論家)が昭18文丙)。
――片岡昇氏(昭20文甲)。仕事で数年に一回はお名前をお見かけする。有斐閣の『労働法』は今でも版を重ねている。京大の労働法の名誉教授。本来は昇ではなく、は日の下に舛が来る。これは当時の活版の工夫では出せなかったのが不思議だが、そういえば、『人民の法律』――『労働法律旬報』の前身――だったかが、昇で出していた。

ミニカー(1)

P1020017 曽祖父の部屋からは、行方不明のミニカー3台のうち1台を回収。コーギーのプロテウス・キャンベル・ブルーバード。幼稚園児の頃からのお気に入り。前回、7年前、母が帰った時も探してもらったが6畳についに見つからず、あきらめかけていたがなんと、雨戸を締め切り、埃をかぶった部屋のすわり机の上から発見された。箱に入ったままだった。

中学時代、この部屋を勉強部屋に使用していた。幼稚園時代からこのブルーバードはお気に入りだったのだ。父に買ってもらってすぐのこと、何度も絵に描いていたらしい。それどころか、友達の家に遊びに行くとき、小さな子どもボストンに入れて持参した覚えがある。英語が読めない時代だったし、周囲にこんな自動車のことを知っている大人はいなかったから、実在の車とは思っていなかったら、のちに、何かの子供向け読物で登場しているのを見てはっとなった。

長い間、遊んだために当然、塗装は剥げている。デカールも少し欠けている。だがゴムタイヤは健在。前回のマッチボックスでは、キャタピラ類が全部だめになっていたので「あるいは……」と覚悟していたのだ。

ただ、コーギーのヒルマン インプ(ハッチバックのようにリアガラスが開くのと、ボディのメタリックブルーに近い何とも言えない青が美しい)とマッチボックスのメリーウェザー消防車(いわゆる箱スケールなので格下に見られるし、赤も濁っているが、金属の梯子を載せて可愛いのである)は見つからない。

前者は、何とも言えないスタイルで、人気があった。今のミニみたいな存在らしい、もっとも、実車の売れ行きはミニに比べるといま一つ。レースにも出ていて、ミニカー・メーカーによってはそちらのモデルも出している。ミニカーのモデルとしてはミニに引けをとらないらしい。

後者は、最近でもマッチボックスがアメリカ資本になってからも生産されているらしい。もちろん、タイヤ部分はいまどきのものに変わり、梯子はプラスチックになっているようだ。警報ランプがプラで再現されたのは進歩かもしれないが。

誰かの手に渡って大事にされているのならまだしも泥のなかで朽ちているのだけは想像したくない……。

本箱と蔵書

P101098701 その幼稚園に入園した時、父のあつらえてくれた本箱とその中の蔵書は、あまり遠くない将来、僕が持って帰ることに。棚板が一つ入っていなかったりするのが不安だが、それは、向こうで探し、なければないで考えよう。この写真は8月に現地で撮ったもの。ただし、叔母の前で恐縮したのか、巻き尺をもって立ち働いたのはいいものの、図り忘れはあるし、チェックしなかった項目はあわで、しっかりしていないのだ。

蔵書はみな大したものではない。後年は私が使っていたが、父の蔵書は漱石と芥川、佐藤春夫『車塵集』をのぞいてはあまり読んだ覚えがない。科学方法論ということでポアンカレがあり、リッケルトがある。父は理科甲類だったが、数学は苦手だったらしく三高の一学期、数学第二類と図学で落第点を取っている。受験は結構器用にこなしたし、人文系はいい。といっても第二外国語でまたまた悪い点をとっている。

マリア像

P1020033

東村山の幼稚園でもらったマリア像も、6畳に置きっぱなしだったから、キャリーバッグの付属の袋に入れて持ち帰った。といっても、こちらは、家で置く場所がないので、当分、緩衝材にくるんだまま、レコードラックのLPの上に置くしかない。聖像は聖像にすぎないといえばそれまでだが。四谷のサンパウロへ行けばもっと飾り映えのするものを売っているが、思い出のあるものだから持って帰ったのだ。石膏でつくったもので、底に「モデリング」とある。

こういう像にも流行りすたりはあるらしく、修学旅行で長崎に行ったとき、大浦天主堂近くの売店で売っていたのはもう少しスマートだったような気がする。いつものことで、あまりきれいにとれてない。手ずれがあるにしてももう少し白くて美しいのだが。

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