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2011年11月30日 (水)

無事搬入

搬入無事終了。
29日の3時からというのは、予報では、雨だったのが、29日朝になると正午過ぎに一時的に降ると変わり、ついにもってくれた。もっとも、搬入(「卸」というらしい)の時刻は、少し遅れた。渋滞に巻き込まれたそうで、2時に千葉から電話がかかってきたときは、向こうもかなり内心あわてたらしい。結局5時を少し過ぎた時刻に到着。しかし、そのあとは、実にてきぱきとやってくれ、30分ほどで完了。その他の荷物もすべて大丈夫。上々の仕上がりに、母は安心したらしい。30日に、記念にトミカを買ってこよう。

しかし、置いてみると、やはりけっこう嵩高いものだ。アップライトピアノ半分くらいの場所は取る。

ただし、こちらにも計算違いがあった。
・棚板を自己流に養生したのだが、これが悪かった。布テープの化学糊がきつすぎて、1か所。ごくわずか板がはがれた。しょせんは合板である。しかも半世紀近く前の。もちろん接着剤という強い味方があるのだが。これなら、向こう側に任せればよかったのだ。まあ、これくらいはがまんしよう。
・きわめて華奢なものである。天井が2センチあるだろうとおもっていたら、これが大間違い、天井部そのものは5ミリくらいしかない。上げ底みたいなものである。このあたり、精妙といえばいえるが、やはり昭和30年代なのである。これでは、ラジオか時計を乗せるくらいだろう。終戦の詔勅を聴いた世代が家庭を持って購入した家具。今使っているケンウッドのAvinoはレシーバとCDプレーヤで5キロになる。買い替えを考えていたビクターのDVDコンポはレシーバが3.8キロ。いまどきのハイ・コンポはどれも小さく軽く作りすぎているといわれ、スピーカーは活かしたいなと思っていたのだが…。物理学者や建築家が知り合いにいないので、強度計算はどのようにするのかわからない。だが、君子危うきに近寄らず。いままで重いものを載せなかったから、壊れずにきたのかもしれない。さて。どうするか。パソコンデスクを使い続けるのはちと気が重いが……。

ここ数日は本は入れない。外は化学ぞうきんで拭いてやりたいし、中はべニア部はアルコールで少し拭き掃除。そののち掃除機。

・本棚の中にあった絵本百科(平凡社)、三十年ぶりに読む。平凡社はこれをなぜ復刻してくれないのだろう。「土人」があちこちででてきたりするのはいまとなっては時代を感じさせるが、ほかの部分は全体によくできている。
(もちろん、アイヌやアメリカインディアンは勝手に少なくなっていくような記述だし、公害問題はまだ出てこない。セックスも出てこないし、「死」も、物語や歴史の中では出てきても、具体的には迫ってゆかない――というような批判はおいといて)
私がいちばん気に入っているのは「あかり」。大人がムード歌謡に酔っていた頃、子供はこれを見ていたという感じである。東京タワーや銀座のネオンは出てくるが、まち全体は暗いのだ。やはり夜は闇が支配してその中に光が点在するという感じなのがこの絵の中の東京。「光害」という言葉が出てくるはるか前の世界を描いた見開きがすばらしい。

2011年11月26日 (土)

搬入日決定

引越の搬入日 11月29日 午後3時から5時までのあいだに決定。さて、終わりよければすべてよしとならんことを。(24日電話。ただし、天気はくずれて、気温もそれほど高くはなってはくれないらしい)

23日、外へ出るのに、ジャンパーでは寒く、コートでは大げさなので、パーカーを買う。ついでに紀伊国屋で『未来』を購入。レイアウトの美しいのに驚く。岡井隆の存在の大きさゆえ、選択の対象から外していて、じっくり読むのは今回が初めて。いけない。四十グレとかいって、石部金吉が40から遊びを覚えると免疫がないから耽溺してしまうケースがあるが、それに近い。
・余白をあえて少なくして版面を確保
・文字級数は大きめ
この二つで斬新なデザインになっている。以前、見本を送ってもらった『塔』はきれいにつくっていて、京大短歌会の若い衆が校正するのか誤植も少なかったが、それと並ぶ。あるいはそれ以上かもしれない。級数が大きいのは読みやすいし、歌が映える。会員数では『塔』のほうが多いが、詰め込んだ感じが少ない。そのかわり、ページ数は多い。

もうひとつのポイントは、岡井隆の磁力にどれくらいが(いい意味で)あらがっているのか――。

2011年11月25日 (金)

早稲田学報 またまた間違っています。

『早稲田学報』またまたやらかしてくれました。薮野画伯の、恩師館の水彩画の解説。
コンサイス人名あたりを引けばわかるものを。
「なかじょう・せいいちろう」×って、きよしじゃないんだから。宮本百合子のお父さんは「ちゅうじょう・せいいちろう」○

もっとも、8月の復興特集での、国立大学出身者ばかりだったからこういう事態になったというのも噴飯もの。今となっては、「『原子力村』に早稲田からも入れてね」というてるようにしか聞こえません。たとえば、高木仁三郎は早稲田の出身者でもなんでもなく、れっきとして東大OBでしょう。早稲田を出ようが東大を出ようが、はじめから原発推進なら同じですよ。

あの事件が起こるまでは大学にとって電力会社は学生を入れたい優良企業としてしか映らなかったはず。学問の府などといってもそこに先見性を求めるのが間違っているだろう。まともな教授はいるが、それが権力を握っているわけではない。しかも、あのときは、タオがどうのこうのという御仁を別のところで登場させているのだから、能天気。そういえば、以前は、大前健一も成功者の見本としてか執筆していたし。本来なら、理工学部で長く素粒子論を講じておられた藤本陽一名誉教授やその系統の研究者を考えるべきだのに。

2011年11月21日 (月)

「光と翳の領域」そして、外山八郎さんのこと

串田孫一『光と翳の領域』を昨夜読了。『若き日の山』を味わいながら読み終えてすぐ、こちらにかかっていた。

講談社文庫のこの本を買ったのは中学生時代で、高校になると串田さんふうの文章を書いてみたりした。だが、あれは、串田さんだから成り立つ芸なのであって、くちばしの黄色いガキがやると嫌味極まりない。そういう挫折があり、『光と~』は東京へ持ってきたのに全部は読まなかったのかもしれない。今から考えるともったいないことをしたものである。著者自らの装丁にかかる「渡辺=串田流」とでもいうべきカバーはいつしか、取れてしまって、もうない。

この自選集は、戦前のものとしては唯一「牧歌」を収録しているが、これはなかなか骨が折れた。戦前の串田青年がどのような毎日を送っていたのかはむしろ「ある街」「紅色の薔薇」「古い詩集」「火曜日の午後」で雰囲気が伝わってはくるが、東京高校―帝大って、ナンバースクール以上にエリートなんだなという感じのほうが感動よりも強い。「手風琴で遊んだり、カロムを弾いたり」ってんだから。カロムとはビリヤードのことだ。パスカルをテーマに選んでいたなら三木清の研究との同時代であり、もっと暗い雰囲気になりそうなのだが、別世界のようなのだ。

ところで、「白い船」で「紀州から夜行列車で帰ってきた」というのがあるが、串田さんは外山八郎さんと話したりしたのだろうか――。
 母の世代、外山さんは私の母校の商業科(のちに独立して田辺商業高校。現在の神島高校)で教えられていた。「はっちゃん」(第一音節を高く発音)の愛称で親しまれた温厚な先生だが、テストの採点はきついので有名。暁星―東大という高学歴にもかかわらず、肺の療養のために帰省し、地方都市に居ついてしまったのである。ナチュラリストというつながりもあって、親交があってもおかしくはない。
グーグルを使い、Wikipediaを使ってみると、びっくり。ナチュラリストという以前に、銀行家の家に生まれ、暁星―東京高校―東大というコースだし、カルヴァンの『ジュネーヴ教理問答』のフランス語からの翻訳といい、これは接点がないほうが不思議(ついでにいえば、外山訳の『教理問答』のしばらくあとに森有正(1911年生まれ。やはり暁星―東高)のカルヴァン翻訳が同じ長崎書店から出ている)。

しかし、関西学院や同志社あたりからリクルートがあっても不思議ではない人なのに、なぜ田辺にとどまられたのだろうか。プロテスタントにはおりおりこういう人がでる。ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語ができるのに、大学の教授にはならず実業人だったり裁判官だったりする人。在宅ケア協会のHPに外山さんを追悼しての礼拝が文章アップされており、感動。私は、幼稚園時代の後半を、この長老派教会の経営する田辺幼稚園で過ごしたとはいえ、カルヴァンの徒にならず、ザヴィエルの徒になってしまった(笑)が、やはり尊敬すべき人の前では帽子を脱ぐ。
外山さんが東亜研究所におられたというのも、初めて知った。水田洋さんと1年ほどかぶるし、内田義彦さんもおられた所である。フランス語に堪能ということだから、インドシナ関係でも担当されていたのだろうか。ただし、これ以上、書くのはやめておこう。誠さんの言葉がある。
「故人がたたえられることは一切しないで欲しい。神様だけが讃えられてほしい。それが父の希望だ」

2011年11月14日 (月)

レーザプリンタに買い替えました

11月10日に、プリンタをJustio HL2270Wに替えた。アマゾンで購入(当日便)。昨年から買い替える予定だったpsc1210、だましだまし使っていたが、さすがに劣化して、小型家電ゴミに。アマゾンで電化製品を買うのはこれが初めだったが、当日便で購入。朝イチで出庫したらしい。値段も結構安くなっている。池袋や国分寺に出かけるのが馬鹿らしくなる。

今度のプリンタはLAN機能がついている。LANカードを購入するつもりで、国分寺のノジマへ。ところが、NEC Atermに挿入して使う形のカードはおいていないという答えだけ。新宿東口のビックへ行くと、丁寧に説明はしてくれるが、アレはスピードが遅いというのでいっそルータを買えというような話になる。ただし、話を聞いてると、据え置きでパソコンを打つ部屋とプリンタの置き場所が同じ部屋ということもあり、USBケーブル(2メートル)に変更。680円。これだけなら、わざわざ、出てくる必要もなかったのだが。ただし、印字品質は非常にいい。

新所沢の本屋で『山のパンセ』購入。著者生前、1995年に文庫になっていたのに驚く。19刷。そういえば11月12日は串田さんの誕生日(1915年)。『若き日の山』についても書いたが、戦時中の生活者としての日々を示す「杉っ葉拾い」の精神のさわやかさ。江戸っ子で疎開したりすると、農村への怨嗟で凝り固まる人がいるのだが、そういうところがまるでない。精神の高貴さ。以前から持っていた『光と翳の領域』も再読。

2011年11月 2日 (水)

『若き日の山』

8月の帰省で串田孫一を3冊持ってきた。

P1020182 父は山登りやスキーを愛好したから、この本もその蔵書の中の一冊である。中学時代耽読し、『私たちはどう生きるか』なるシリーズの『串田孫一集』(1960年刊行)を図書館から借りて書き写したくらいだから、出会いは古い。『世界の思想家』での、火あぶりにされたジョルダーノ・ブルーノの話はもう覚えていないが、寝転がって本を読んではいけない、人類の苦闘への敬意をこめて読んでほしいというくだりは不思議に覚えていたりする。

『博物誌』(ⅢとⅣ)は町の書店で買った。だから関嘉彦の名は社会思想社の現代教養文庫の書目リストで知っていた(そういえば、串田さんは中央公論社「世界の名著」の編集委員の一人でもある。ベンサムとミルを一冊にした巻を担当された関先生と、どこかで話したりしたのだろうか。学部ゼミのコンパで聞いておけばよかったのだが。

もっとも、大学に入り、哲学を専攻する人間を身近に見るようになると、串田さんの作品を読み返すことはなくなった。

これは僕が登山をしないからでもあるが、それ以上に、ヴォルテールやルソーについて、否パスカルについてさえ、社会科学的な研究の存在を知ったこともその原因かもしれない。「水田洋さんが、山という趣味は同じでありながら、串田さんの研究にあまり言及されないのは、おそらく『社会科学がない』からだろうな」と思ったりもした。まれに早く起きた時など、FM東京の「音楽の絵本」が入ると、拾い物でもしたように嬉しかったのは覚えているが……。

30を過ぎて小金井の教会に通うようになってからはこの作家が小金井市緑町に住まわれていたことなどもう忘れていた。奥付にアドレスの載った『博物誌』は高校を出るとき家に置いてきたままで、その後、私は進路の選択を誤り、処世に失敗し、劣等感でいっぱいの人間になっていた。もうひとつ、世の中で、ある種のタメの有無が問題を決めることがあるというのを感じざるを得なかった。実業界の大立者を父に持ち、小学校から暁星という串田さんの世界は限りなく遠く思われたのだ。

だから05年に亡くなられた時も、寂しさはあったもののそれほどの深い感慨はなかったのだが、いま、読み直してみると、清い泉と大気にふれるような気がする。「お前の喜びはそこにこそあったのに!」だ。

『若き日の山』は1955年刊。河出新書。55年も前のものだし、愛読したし、加えて、湿気の多い家で保存していたからか、紙質はがさがさになっている。

中・高校生時代には前半を中心に読んでいたような気がするが、今回、久々に読み返してみて注目したのは「荒小屋記」。山形県新庄市の農村地帯に疎開したことは、三代続いての江戸っ子に、もうひとつの世界を知らしめたのではなかったか。

それまで山への途中に農村はあっても、あくまでもお客様でいられたのだが、戦争はそれとは違う農村の顔を見せたろう。山男らしく、なんでも自分で物惜しみせずするのが幸いしたとはいえ、農村では農民が主役なのだ。そして自然に近く生きるということは何かを串田さんはここで学ばれたのではなかったか。そういうなかにあっても、やはり自然は荘厳で、動物も植物も命を燃焼させる。帰京は昭和21年と早く、本人が感じているほど、取り残されたわけでもなかったのだが――事実、戦後の混乱を機に地方に土着してしまったという人はいる――不安の中で、フランス人の書簡を解読していくことでかろうじて己を支えたというときの串田さんは、まさに生きるための思索をされたのではなかったか。

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