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2012年4月21日 (土)

疲労

ちょっとした間違いが続き、つくづく疲れる。

『音楽の絵本』のオープニングがRV94だと知る。昔、和歌山の田舎に住んでいた頃、いかるが牛乳の天気予報がやはりこの曲だった。出だしのメロだけだと四季の「冬」のラルゴそっくりで、編曲だろうという人がいたが、やはり別の曲。

2012年4月19日 (木)

帰りの電車で

勉強会の後、居酒屋で食事をし、西武池袋へと出る地下鉄の改札で切符を失ったらしく小銭入れを探って160円を出した時に今度は傘を忘れてしまう。ホームに入ってすぐ気が付いたがもう取りに戻る気に慣れない。

帰りの西武電車の中で、中島京子『イトウの恋』(講談社文庫)を読んでいた。鴻巣解説はよい取り合わせ。それで感想いくつか。

――現代の部分の文章が軽いという意見があちこちで目につくが、いまはこうと考えるしかないだろう。何せ、頑丈が売り物の電車ですら、軽量化しろと言われて久しいのだから。
――郷土史研究がきっかけというのだったら、たとえば来栖良夫に「鉄砲金の話」があるが、中島はこういう左翼っぽいのを読んでいるのだろうか。ふつう(笑)の読書好きのコドモであっても、岩波や福音館で育つか、それとも岩崎書店や理論社で育つかで、だいぶ違う。

――鼻につくところがあるとしたら、耕平の家庭環境の設定だろう。曽祖父のトランクが話題になるというのは、かなり特殊な階層に属する。ブランドブームがあったころ、「やっぱりエルメスの旅行鞄は違うわね。作りがしっかりしてて結局お得だわ」などという台詞が流行ったが、これを苦々しげに見た人曰く、何代も旅行鞄を使い継ぐというのは外交官か学者か企業の幹部くらいだろう、そこいらのどこの馬の骨かわからない出の小娘がいうんじゃないよ――。でもいるんですね。エルメスを語ってもいい人。中島は、曽祖父の鞄を語れる階級をその出自に持つ人物である。

耕平の曽祖父の話というのは、実は創作でもなんでもなく、中島自身の出自に基づいている。東京高等工業の初代建築科長の滋賀重列は、彼女の母方の曽祖父にあたる。講談社の文芸雑誌や書評の類でこれはそこはかとなく語っているかもしれないが。

こんなことを書いたのは、両親が仏文学者というだけで、単純な反応をしている人が多かったからだ。ようするに、「うらやまけしからん」というのだろう。その手の読者は、おそらく『イトウ~』も読んでいまい。

ただ、曽祖父のトランク云々を面白がれるかどうかで中島ワールドを楽しめるか楽しめないかが分かれてくるような気はする。

「過去の文書」が途中で切れているのは『おうち』も同じで、基本的には同一の手法を使っているわけだ。小説はことごとく注文生産の一点ものでなければならないという考えからすれば当然文句はあるだろう。こちらのほうがむしろ問題になってしかるべきだったかもしれない(とっくに文句を言ってるって?)。

2012年4月17日 (火)

勉強会

11日に来るはずだった再校が遅れて15日になったので、13日の勉強会に参加。都内へ。

記号とはなんぞや、という問題で、講演はもちろん有益だったが、講師の人の携帯しているRingstar superpitchなる道具箱(720円らしい)が話題に。さすがと思うようなものを使っているなと絶賛していた人もいたが、どうだろう。これは整理が日課になっているような人だから活用できるのではないかしら。仮に何か忘れても何番目にどれが入っていると把握しているタイプ。そうでない人間だと、むしろデピカの『よいこのおどうぐばこ』のほうがお似合いかもしれない。

ついでに、小学館の『句読点、記号・符号活用辞典』を隣の席の人に教えてもらう。

帰宅後、地震があったのを知らされる。やはり年寄りを置いては外へ出られない。数時間おきに揺れているとはいえ。

2012年4月 6日 (金)

読んだ本・買った本

■読書
つまみ読みだった『オリエンタリズム』を一応通読し終わったあと、山辺健太郎『日韓併合小史』。学部2年の時、他学部聴講でとった「東洋史特論」(宮田節子)で知った本である。岩波新書だから、薄いはずだが、こちらもつまみ読みしかしていなかった。校正仕事で、マーク・ピーティー『植民地』を担当した際、この本のお世話にはなったらしく、あちこちに線が引いてある。正味、四日で読み終える。朝鮮という国が地図から消えてしまうまで、まるで雪玉が大きくなっていくような感じで読ませる。3月に亡くなったOさんがその晩年にくれた賀状で「学生時代に読んだトルストイやマルクスを読み返しています」と書かれていたのを不意に思い出す。

■購入
・三枝昂之『昭和短歌の精神史』角川文庫
親本(ながらみ書房)をつい買い漏らしていたので、さっそく購入。たしかに、色川大吉の『明治精神史』(黄河書房→講談社現代文庫→岩波現代文庫)タイプの物語的な語り口で各章をはじめたりするところはおもしろいし、戦犯探しの過程の恣意的な性格など、単純に善玉・悪玉で短歌史は書けないということを教えてくれるのだが……。いくつか疑問はなくはない。
たとえば……第二芸術論を軽薄で短歌の独自性を踏まえていないものとして叩く。ただし、これはいまだから言えることだろう。あの論争等が行われた当時でも、何もあれから学ぼうとせず被害者意識で対応した歌人はいるし、結社の小ボスならばなおさらそうだった。もし、あれがなかったら、日常性の安易な肯定の上で歌壇が栄えることはあっても内容が深くなることはなかっただろう。
あるいは……山崎方代が人名索引に出てこない。ああいう生き方は著者の想定外なのか。あるいは、村田利明が出てこない。あれも想定外なのか。「戦争中なのだから協力は当たり前」と考えて空疎な歌を作る人もいれば、それとは別に「個」を守った人もいる。アウトサイダーの出てこない精神史になっているのではないか。
さらに……昭和天皇の名は何回か出てくるが、歌人としてではなく、大日本帝国の主権者としてである。著者は、昭和天皇の短歌についてどう考えているのだろう?

・串田孫一『北海道の旅』平凡社ライブラリー
これは上質。

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