2008年7月13日 (日)

発達障害……。

P1010611 発達障害の問題についての校正。いささかどんよりした気分になる。
著者は、障害者向けの職業紹介政策に若者が乗ってくるようにするべきだとし、せっかく、がんばって健常者と同じ学校を卒業したのだからと、考えて失敗する人が多い、というのだが(下線部は僕のまとめ。原文どおりではない)……。

佐久間真弓・藤崎りょう『親の愛は、なぜ伝わらないのか!?』(宝島社、2008)を読んでいても、挙げられている発達障害の特徴は、ある程度、フツウの子ども・若者たちにも見受けられるものなのだ(もっとも、この本の主題は、虐待やマルトリートメントなので僕の校正していた論文とは別のはなしではあるが)。

心理学を知らない人間がこれ以上、ものをいうのはやめておく。

えらく暑い。予約の手違いで明日の朝、都内に出なければならないことが判明。

2008年7月 9日 (水)

節約ジャーナリスト?

例の若林亜紀だが、突っ込みどころ満載なことを仰っていた。新聞購読についてである。
2006年4月4日の記事に、いわく、
私は、新聞は3ヶ月ごとに変えています。景品のためではなく、各紙それぞれに特徴があるので偏りを防ぐためです。読売新聞は好きなのですが、今は朝日新聞をとっています。あと、東京新聞も行革の記事が多いです。
文体が、「キリンさんが好きです。でも象さんの方がも~っと好きです」に似ているのは、なぜだろう。ウェブ魚拓をとっておいた。

この人、ジャーナリストっていっても、節約ジャーナリストだったのか! というのは、冗談。新聞の論調云々というのは、同時に読み比べるという作業を継続的に行うからこそ、はっきりわかる。それに、論調だけではない。広告主の変化やレイアウトの変化、紙質の変化、チラシの増減、までみえてくるのだろうに。 偏りを防ぐというのも、あっているようで、へんな話。イデオロギーから自由になれるわけではないだろう。むしろ、偏っていて当たり前なので、取材不足に陥らないようにするべきだろう。

私が旧弊なのか、<新聞を自分の関心のある限られた分野のインデックスとしてしか読まない>、というのには、少しばかり抵抗を感じる。

政治について書いているなら、朝日(進歩派?の建前)、日経(財界の声は神の声)は基本だろうし、読売/産経(巨人軍が好きな人、フジテレビが好きな人の新聞から1紙)、毎日/東京(市民運動に好意的な新聞から1紙)も必要だろう。スクープという点では、しんぶん赤旗。ああいう商売をするには都合5紙は読むべきではないか。。だいたい、彼女は自営業(まさか、政権党のカエルのような顔をした大先輩から何かのポストを与えられて研究員になってるわけじゃあるまい)ということになるから、すべて必要経費で落ちるはずである。

図書館で読む? さて。悪天候のときはどうするの? 夜間に記事が必要になった時は? 電子版を読む? あっそう。そのかわり、過去の記事の検索はどうするの? どっちみち、有料の契約になるのなら、読みやすさという点で紙媒体を使うべきだろう。
たしかに、科学ジャーナリストの粥川準ニ氏が東京大学社会情報研究所で行った授業では、海外の専門学術誌は電子版を使われたそうだが、あれは大学という組織で購読するという前提があってのことだろう。それに、内容的にも若林と同じ次元ではとうてい論じられない。粥川氏に失礼になる。

どうでもいいことなので、画像はない。

2008年7月 6日 (日)

すわ再燃?

P1010604 画像は7月4日のもの。急に暑くなったので、5日にはエアコンを入れた。雷が聞こえて、やがて一雨ふると涼しくなると決まっていたが、どうやら、東中野にいた末期くらいから、そうでもなくなったらしい。熱雷というやつである。

6月中旬から、3本を同時に走らせたのはやはりきつかったらしい。「すわ再燃?」と思わせることが2回ほどあった。皮膚とも連動しているという説もある。もっとも、あまりくわしく書くとあちこちからヘンなアドバイスが来るのでここまでにするが。何しろ、ネット上の「難病●●病患者のためのサイト」と称するものの少なからぬ部分は患者をカモにしようという業者の手になるものなのだから。

原因は暴食気味なこと。一回目は、一度は外での夕食の240グラムのチキン(サラダ風のもの)、もう一回は、総会で買った争議支援の抹茶カステラを一人でほとんど1本食べ、そのあとヒロタのツインフレッシュ4個をいただくという具合に、食い意地が張りすぎていたため。父が、広島出張の帰り、岩国の駐留軍御用達のステーキハウスで、特大のビフテキを平らげたのはよかったが、東京に帰ってから急に苦しみだし腸間膜の閉塞という、いまでも助かりにくい病気で死んだこともあり、母親に怒られる。幸い、緩解期はまだ続いている。

2008年7月 3日 (木)

先月のこと(1)

月は替わっているのだが、先月のことを。

6月28日  労働組合の総会。歴史的な盛況ぶり。もっとも、例の病気があって、緩解期を薬で維持しているようなものだから、ビールもワインも厳禁。おつまみの類、唐揚げ、ポテトチップ、ハーシーのチョコとおよそ病人には不向きで、これは、主催者を責めようとも思わない。結局、すしをいくつかと、バナナ。仕事が残っていたこともあり、二次会にも出ずに帰った。去年はデジカメを持参したが、今年は、腹圧のかかるような荷物を避けるため写真なし。

総会での即売で、Rさんの新刊を買う。内視鏡手術後の安静で、出版記念会に行けなかったことを思い出す(仮に病気をおして行っても、別の理由で落ち込んだのだろう。こっけいなことだが)。

2008年6月 6日 (金)

眼科医のこと・組合支部総会・忌日

5月31日。どうも目のかゆみがはかばかとせず、御茶ノ水へ。検査を3つ。ランドルト環でのテストが、隣の人のものを答えていたというコントみたいな状態で、やりなおし。結局右の視力が出にくいことを指摘される。地元の医院や大病院でも、正常眼圧緑内障として治療してきたが、強度の近視から来る別の病気かもしれない。キサラタンもミケランも2週間程やめてみることになる。

6月1日 所属している組合の支部の総会。本郷の旅館が会場というので、南北線・東大前で降りる。駅には地元の小学校の美術部による「アテネの学堂」の模写があり、地上に出て、東大YMCAビル(森有正や木下順二が住んでいた)や信山社を見ながら落第横丁(立原道造や杉浦明平がこのあたりにたむろしていたのだろうか)に入り、少し道に迷ったものの、会場に。

P1010587_2 支部総会は格別の問題なくすすみ、終了。そのあと、日本式旅館で風呂に入り、懇親会。持病のせいで酒が一滴も飲めなくなったのは、残念。周りが気のおけない人たちだったからよかったものの、そうでなければ、ストレスでビールに手が伸びているかもしれない。宴会料理もおそばとイチゴは両隣に食べてもらった。お土産に、「東京へ行ってきました」的クッキー。写真がうまくとれなかったので、読みづらいけれど、拡大すればよめるかしら。帰宅後校正をファクス。

6月5日は、藤原保信先生の亡くなられた日。ひとりで府中墓地に行ってもよかったのだが、原稿指定があり、ぐずぐずしていて夕食時になって気づく。嗚呼。

2008年5月26日 (月)

校正者クラブ総会など

24日。校正者クラブの総会。帰りに新宿に寄り紀伊国屋で、山川隆一『労働契約法入門』(日経文庫)を購入。アマゾン.コムではあまり評判がよくないが、この法律自体、出来立てのほやほやで条文も少なく、単体ではそれほど深く掘り下げられないはず。少なくとも、私にはこれくらいの深さでいい。

片山杜秀『音盤博物誌』の発売の日だったが、両手に荷物を持っていて、買いそびれ、菅野和夫『労働法第8版』もあのボリュームを考えると萎えてしまう。何しろ、天気は雨。なのに、母から頼まれた「いただき」(私は、小林よしのり『おぼっちゃまくん』でこの菓子の名前を知った。よしりんも菓子の趣味は悪くないじゃないか)、「玉子せんべい」「小豆せんべい」(東京にはこの手のあっさりとした甘いせんべいがない)とこまごましたものを抱えている。もう片方の手にはナイロンのビジネスバッグ。

25日。カッコウが! あの声を聴くとしばらく嬉しい。

内科の寛解期はいまのところ、順調に維持できている。
池袋線を使うことが増えたのも何かのご縁だろうから、小竹町の相良宏の住んでいたあたり――もっとも、大辻隆弘『岡井隆と初期未来』で描かれた時点で変貌はなはだしかったのだが、(江古田下車)――、清瀬の病院周辺(『経過一束』)、ひばりが丘(『たたかいのししむらの歌』や『経過一束』のあとがきに出てくる喫茶店「麦」はもうないらしい)と、無駄足承知で回ってみようか。文学散歩と言うのはこっぱずかしいが。

2008年5月16日 (金)

今度は舌の根が凝って……

13日に保健所で書類を貰う。電話での印象は良くなかったが、窓口の女性は非常にまとも。14日に市役所出張所で住民票の写し。ごたごたとした買い物。で、どうも夕方になって、舌の根が凝った感じ。飲み込みづらい。結局お粥に切り替え、15日に耳鼻咽喉科へ。舌根炎ということ。要するに風邪をどこかでうつされたらしい。抗生物質と鎮痛剤を出してもらう。

ここしばらく読んだ本。鹿野政直『近代日本の民間学』。駅前のめずらしく岩波をおいてある本屋で買ったもの。仕事で戦後史学史をやった影響で。岩波新書の黄版なので時代を反映してバリバリに堅いし、今なら、こんなに詰め込まないだろう。学生叛乱をまじめに受け止め、なおかつ、大学人としてきちんと仕事をする――要するに、造反教官というスタイルにはならない――とこういうタイプの人になるのだろうという感じ。

仕事の関連といえば、いくつか、「引用」「文献」についてのサイトをまわり、プリント。出先の担当者に突っ込まれた時の準備。

注目したのは、AMA でのイニシアルのあとのピリオドなし、APAでの方法と社会学評論方式との違いなど。et al.の使い方についても、社会学評論は、Chicago Manual ともOxford Style Manual ともやや違った方式である。二つの有名なマニュアルは、et al.の使用を4人以上(シカゴの場合、学問分野によっては3人以上も可)としており、APAも3人以上であるが、私が見ている原稿はどういうわけか、3人以上でもet al.を使う人がかなりいる。 これは社会学評論(とおそらく、そのスタイルの元になった、海外の雑誌)の影響なのだろうか。

もっとも、2人でこの略号を使うのはさすがに社会学評論でも認めていない。

2008年5月 2日 (金)

日記再開

日記を再開。これまでの経緯は、3月末に健康に異常。近所の医院は5月9日という予約になってしまい、これでは耐えられないので、人づてに早くできるところを探した。その結果、

4月26日に大腸内視鏡検査。結果は幸い、がんは肉眼では認められず、良性のポリープ2種類(直径6ミリ、1ミリ)を切除して生検に。12日に判明予定だが、少し早くなるかもしれない。

医師が信用の置ける人だったので、その点は安心だったが、他の病気もあり、霧が晴れたわけではない。ストレスが原因らしいが、この30年、ずっとストレスだらけだったのである。ヘンな勧誘が来るのはごめんだからこれ以上は書かないが――。

4月27日の山口2区は民主の勝利。平岡議員は、共謀罪反対闘争に協力してくれて、私は、クリスマスカードを送ったことがある。

内視鏡手術の後だったので、5月1日は欠席。ビールがおいしかっただろうが……。

精神的な落ち込みでしばらく、本も読めないまま。

2008年4月17日 (木)

風邪引き。三四ニ読了

風邪を引いた。土曜日午後に喉に軽い痛み。日曜にかけて痛みが増し、月曜日にかかりつけで受診するも熱が下がる気配なく、38度を超えて上がり、火曜日、同じ医院の別の医師に。火曜日の上がり方はやや不気味で、母がリハビリに行った隙に酷く上がったらしい。けっきょく母親の手を煩わして、氷を割ってもらい、水曜の午前に37度2分、午後にやっと36度5分に。防衛医大系の医師なので、直し方が荒かったりする(以前、薬からくる皮膚のあれに悩まされたこともある。「戦陣医学」は副作用をいってはいられない、というやつだろう)。幸い、今回は副作用には悩まなかった。

けっきょく、行きたい行事は8割がところ、キャンセル。

上田三四二『この世 この生――西行・良寛・明恵・道元』読了。原典そのものが晦渋な道元の章など、少し読みづらいが、やはり名作。

例の「ちるはなはかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも」(『涌井』)は、

『……しかし、西行にとって、死後は死の瞬間に及ばない。西行の死後は、死の瞬間に揚がる美しい花火の、尾を曳いて闇(やみ)に懸かり闇を渡る、その光芒の余勢のようなものではなかったかと思われる。」(「花月西行」19頁)

や、良寛を扱った

「……苦しみつつ死へとずり落ちて行く良寛の足許(あしもと)には、「沫雪の中にたちたる三千世界(みちあふち)またその中に沫雪ぞ降る」の水晶宮幻想による透視空間がどこまでも拡がり、頭上には、「つきて見よひふみよいなむやここのとをとをと納めてまたはじまるを」の遊戯(ゆげ)法楽の時間讃歌(さんか)が、いつまでも響(な)っていた。」(「遊戯良寛」73頁)

を脇に置くとき、たんなる桜の名歌という以上の感じがする。

そして、「地球浄土」の章で、上田三四二の社会思想史的な、反核の思想に行き当たる。だが彼はこのあたり、歌とは見事に切り離していたのではなかったか。散文の利ともいうべきものが生きた名文である。

2008年4月 9日 (水)

訂正

『文藝春秋』3月号の若林亜紀の文章を見てみた。150ページにこうある。

小泉と私には縁がある。私の父と小泉の親戚が大学の同級生で、小泉の東京事務所は一時、新橋にある父の実家の一画にあった。私が育ったのは神奈川県で、小選挙区制が始まる前までは小泉の選挙区だった。選挙になると小泉陣営から必ず電話がかかってきた。私も小泉改革を支援したいと思った

たしかに慶応ではない。訂正しておく。

ところで、かながわ市民オンブズマンのHPを見ていると、役員に、大学時代のクラブでの友人と同じ名前の人がいるので、驚く。アジアに精しい人でクラブの人気者だったが……。

2008年3月31日 (月)

民科

歴史学の本の校正。どこまで赤をいれるのか。かなり悩む。軽快に進んでいたようだが、見直しをすると、字下げの見落としを拾ったりする。

P1010569 民科歴史学部会というのが出てくるのだが、実は、死んだ父は、若い頃、自然科学部会に入っていた時期がある。証拠品は画像の葉書。BSへ行くうんと前。そんな人間が大阪府立工業奨励館から、BSになぜ行ったのか、母に聞いてもはっきりしない。民科にいた人間にあの会社が住みやすいところとは思えない。

母の話で判断する限り、父をそれほど左とも思えない。妙に坊ちゃん風をふかすところがあったようだから。あ、「左翼運動」? やってませんね。ひところの、NHKの連続テレビ小説だと、あの時代の旧制高校生や大学生は、みんな左翼ということになっているが、竹内洋が指摘するように、それはかなり事実と違うようだ。

戦時中に学生生活を送っていて、同じ下宿にいた東京農大の学生が検挙されたのを見たというが、これも母の聞いた思い出話。ただ、あの時代の生まれの人間は、科学方法論に凝るらしく、ポアンカレやリッケルト、果てはレーニン(『唯物論と経験批判論』の戦前の岩波文庫)までいちおうは蔵書にあった(本当に読んだかは知らないが)。

2008年3月29日 (土)

仕事に一区切り・ことしの桜

たらたらとやっていた、仕事の一区切りがついたので、お祝いに(?)HMVへ注文。
ハスキルとリパッティの未発表音源(TAH366)。これは、だいぶ前に出ていたのだが、ハスキルの「来たれ、異邦人の救い主よ」はすでに持っているので、この曲だけダブり買いになるのを嫌って買い逃していたもの。リパッティにも同じ曲があるので聴きくらべをすすめているのだろうが……。29日店から出荷。

P1010509_2P1010542_3P1010560_3 28日、気分転換に近所の桜をやたらと撮り、吉田秀和『永遠の故郷 夜』を近所で買う。週刊文春(3月27日号)の片山杜秀書評に影響されるところ多し。横にあるのは、昨年、買ったフォーレの歌曲全集。何せCD4枚組みなので、まだ2枚めを聴き終わったところ。『永遠の~』にしても、フォーレにしても、急ぐにはもったいない。

29日、近所のラオックスで、玄関のクリプトン球を補充、帰りに古本屋で、藍川由美『これでいいのか、にっぽんのうた』『「演歌」のすすめ』(どちらも文春新書)、上田三四ニ『この世 この生――西行・良寛・明恵・道元』(新潮文庫)。

2008年3月27日 (木)

仕事は進んでいるが。

P1010475_2  26日は好天。髪を刈りにいく。仕事はまだ数章だけ残っている。もっとも、一瀉千里にやっていて、ほめられることではない。

図表に、西川『人口』とあるので、てっきり西川俊作氏かと思い、検索したが見当たらず、西川潤で引くとヒットした。

そう、仕事関係がなければ、私は、俊作氏の名前は存じ上げなかっただろう。学部時代からそのあとも、西川といえば西川潤だった。この「第三世界のスーパースター」(そんなあだなが当時あった)からは経済学史を習った。私の学部は、いわゆるマル経ベースの学史がなく、これにかわるものとして、彼が教えておられたのである。もともとは、『カルヴァン経済思想の確立』が修士論文だった人だが、公明党支持の学者としても活躍しておられた。もっとも、現在の公明党は、西川先生の思想とだいぶはなれているし、『潮』や『第三文明』にも執筆されなくなっているようだ。

27日は植木等一周忌。さすがに去年のようなブームはないが、これは、本格的な評伝が書かれないこともあるのだろう。週刊ポストでやっていた、戸井十月の評伝にしても、遅すぎたし、資料の多くをナベプロによっているのではないか。アメリカを何でもかでも引き合いに出すのもしゃれたことではないが、少なくとも、日本は回想録の執筆が約束事になっている国ではないな、とも思う。たとえば、60年安保での政治参加と、70年のぬるさとについても、もっと早くに誰かが聞いておくべきだったろうし、それは、芸能界とは無縁の人――たとえば歴史学者――によるほうがよかったのかもしれない。

2008年1月13日 (日)

二人の死

年明けてしばらく、二人の死があった。
一人は、小学3年から中学卒業までいっしょだった、U君。数年前に交通事故で後遺症が残ったことは知っていたが、昨年亡くなったらしい。欠席した同窓会の集合写真と名簿が角封筒で送られてきて、幹事役の女性のまとめた文章で知る。「そういう年になったのだな」という寂しさがある。

年末にだらだら仕事をしてしまったこともあり、同窓会の返信ハガキには欠席に丸をつけて返送したところだった。仮に能率的に仕事を進めていたとしても、田舎に帰るとやはり気詰まりなのだろう。

そもそも、フリーの校正者などというのは一番わかりづらい職種で、事実、高等学校の名簿の時は、それで事務担当者とケンカになった。「フリー」とかいているにも関わらずしつこく「所属」を聞かれるのである。小・中(1クラスしかない)ではそこまで不快なことにはならないだろうが……。

もう一人は、父の旧制中学時代の友人。旧制京都三中~大阪外語~京都大学と進み、三十台半ばで立派な禅僧になっていた。こちらは大往生(だろう)。大学に進んだ時点ででも一度お目にかかっておくべきだったかな、と今にしてつくづく思う。

2008年1月 1日 (火)

新年のご挨拶

P1010437 年が改まったが、校正が中断したというだけ。
年越しそばを食べ、ワインを飲み、すぐ元に戻る。

7日~9日と出張校正があり、労働法関連の仕事(例の植木等を見にいけなかったアレですよ)もあるので、のんびりもできない。
画像は、暮しの手帖のカレンダー。わざわざ買ったというのも、私にしては珍しい(といっても、野鳥の会の小型を買い忘れたのだけど)。花森安治らしく、このカレンダーには六曜がない。このサイズでは珍しいかもしれない。

2007年12月31日 (月)

諸事積み残し

27日までだらだらと仕事をしていて、やっと28日から体があいたので、近所の量販店でファクスを買い換える。今使っているのは、KX-PW7CLという時代物。本来なら、もっと早く買い換えておけばよかったのだが、B4での送受信――最近の機種はA4送受信か、せいぜいB4受信、A4送信まで――にこだわっておそくなった。

30日には池袋で買い物。ジュンク堂で六法全書を時間をかけて選ぶ。買ったのは、
『判例六法Professional』有斐閣
文字の大きさで言えば、三省堂の『模範六法』のほうがよいのだが、これまで有斐閣『小六法』を使っていたので慣れというものもあり、この話題の二分冊に。

ただ、法律関係の校正をするとはいえ、そんなにしょっちゅうではない。Professionalというが、Windows XPだってHomeで十分なのである。だから、有斐閣『判例六法』、三省堂『コンサイス判例六法』というのも考えた。六法は『家庭の医学』と同じで、まず読まないページがほとんどだし。結局、経費をけちるな、というのであえて買う次第。LABIでアドビアクロバットの8.0を買う。

他には『ジュリスト 労働法判例百選』『法律学小辞典第4版』『世界憲法集』『人権宣言集』とはなはだ実用一点張りの買い物。「政治」の棚をみると友人の何人かがいい研究をしているのをみて、胸中単純ではない。

年末の買い物の楽しさも忘れて久しいし、クリスマスも祝えなかったので意気上がらないこと甚だしい。歩いて15分くらいのところに、教会があるにもかかわらず……。母教会は遠くなってしまい通えず、学生時代の指導司祭は清瀬におられ、「共謀罪」関連で思わぬご縁ができたから遊びにいっていいのだが。多忙という以外の理由――神学的な懐疑などではありません――もあるのだが。

しかし、12月の夜というのは、気が滅入る。28日の夜など、雨音と自動車のタイヤが道を擦って通過する音を聞いていると、岸上大作になった気分(あれは12月5日だよとか、お前はいくつなんだよ、とかツッコミを入れたがる向きがあるだろうが)。

ほかにもできなかったことが一杯。
×コンピュータの新調――メーカがコンシューマ市場から撤退するので、それに対応して。
×プリンタの新調――まだ使えるとはいえ、psc1210はケーブル必須。いちいち印刷用に立ち上げるのも厄介。

×結社への加入――トカトントンという音が聞こえた?ため(見る前に飛べという言葉もあるが)。
×歌集の筆写(笑わないで下さい)
×吟行(たとえば、12月・国会議事堂前)
×探鳥会参加
×マジな読書(10月に出した企画のその後のフォローを含め)

2007年10月 8日 (月)

うっかり失念

所属している団体の行事への出展準備。
当日、持込には、荷物の重さがあるので宅配便を頼んだ。

ちゃっちゃっと片付かないで数日を費やしてしまい、おかげで、7日(日)の三ケ島葭子紀念室の催しをうっかり失念。歌人の玲はる名さんのブログでみていたはずなのだが……。どこに眼をつけていたのだろう。

これまで、田井・大河原というシブイ面々がメインだったのだが、今回、東直子、佐藤弓生、松村由利子の鼎談という企画。大成功とある。すぐ近くに住んでいるのに残念至極。もっとも、交通が不便なので一日がかりになってしまったかもしれないが。

8日、母校がNHKの学校音楽コンクール、最終選考に残るが、銅までに入らず。地方の高校独特な、視野の狭さが演奏にでているのかもしれない。

2007年9月19日 (水)

SO703i

結局、ソニーエリクソンのSO703iに。最新モデルではないが、文字盤の大きさと押しやすさで決めた。スウェーデンというのも相良宏が新薬を詠った国だし。買ったのは、近くのドコモショップである。このシリーズだとすでに704iが出ているが……、とりあえずの機種になるかもしれないことを考えてこちらに。

フルブラウザではないし、ロマンティックゴールドなる色は、アルマイトの弁当箱を連想させ、アロマシール(!)に至っては、使いたくないが。それでもらくらくホンシリーズよりはましだろう。カバー部分を変えて金ぴかにしよう。金ぴかが似合うようになろう……と考えていたりして。

2007年9月12日 (水)

ある晴れた日に

安倍首相辞意表明。
すこしばかり、溜飲が下がる。キシの孫のもとでの改憲という最悪の危機はひとまず、過ぎ去ったのだ。

もちろん、コトはそれほど単純ではない。もっとひどいものが待っている可能性すらある。

そして、教育基本法、改憲手続法と、一方的な勝ちを彼がおさめたとき、それに拍手を送っていたメディアが、年金以降、いっせいに叩きに回った様は「おいおい、あんたら、何、いまさら」というものだった。

小泉内閣時代の、年金選挙での政府側のつじつまあわせに対してさして追及もしなかったのだ。その結果は2年前の9.11であり、田井安曇が「日本人は抒情的にはすばらしいが、政治的には落第生だ」と怒ったのだった。
思い出す。去年の晩秋の、国会前の燃え上がる紅葉を見ながらの絶望感を。こんな、美しい風景の中で、負けていくのかと――。

第二幕はどうなるのだろう。そういえば、今日は父の命日。東京オリンピックのあった年、やはり今日のように晴れていた。

2007年9月 7日 (金)

ケータイ選びの憂鬱

これまで7年間、PHSを使ってきた。KDDIのH”(エッジ)である。えらい時代ものだが、ちょっとした連絡に使う程度なら、不自由はなかったのだ。そもそも、派手に動き回るわけでないので、090を使う必然性はほとんどない。当時、音質ではPHSに定評があり、それも選択の理由だった。

今年に入り、老母の病院通いが増えてケータイを持ってもらうことになった。つまり1台増やすわけである。当然、ウィルコムにする方向で考えていたが、田舎でつながるか、という問題が出てきたのである。

父方の墓所は静岡県の伊豆市、母方のそれは和歌山県田辺市で、大字まで調べていくと、どちらも圏外。伊豆市にいたっては、半径2キロ以内にアンテナがない。そういえば、以前墓参に行った時、修善寺ですら、つながりにくかった。これでは、断念せざるを得ない。

せめて、auであれば、とKDDIに聞いた結果。伊豆市については、少なくとも路上であれば大丈夫だったが、問題は、田辺市。つながらないわけではないが、不安定なのだそうだ。川を越えていくか、南へ下って小学校まで行くかという話になる。これでは、携帯電話の意味がない。

ソフトバンクは、とりあえず1台というクラスの入門機のデザインが秀逸。広報用の無料誌に聚珍社を使っているのも気に入って確かめてみたが、伊豆が駄目。田辺のほうは明瞭につながるが。

ドコモはさすがに両方で使える(800メガヘルツが使えるものと念を押されたが)。これにせざるを得ないのだろう。だが、NTTには少し不満がある――前に小平に住んでいたころ、マイラインの宣伝にチラシを置きに来るだけなのに、さも重大なことのようにいい、一日をつぶされるわ、今のところでは局との距離が遠いので、ADSLを諦めさせられたが、ずいぶん不親切な案内だったりするわ(結局、CATVのお世話になり、現在は光プラスを使っている)。

仕事でここの労組の幹部が書いている文章を校正したが、人数の多さを誇示しているのも、あまりいい感じではない(組合的文章は得てしてそういうものだとはいえ)。

ともあれ、身の丈に合ったものを奪われるのは快いことではない。端末は近所のドコモショップではなく、池袋か新宿の量販店で買うことになるのだろう。

2007年8月25日 (土)

誤植めっけ

他人の誤植はめざとく見つけるのだが……。

P1010157P1010177 最初は、下北沢の映画館のパンフレット。わかりますね? 五木ひろしじゃたそがれですよ。正木ひろしですね。

二つ目は、これは、意外なもので労働法の教科書。今回のリライトで参考にさせていただいたが、誤植がある。丸付き数字がおかしくなっているのはわかるだろうか。こまめに改版するので有名な本で、まさに改版の際に出たものだそうだ。改正のポイントは人によって数が違うので、これは編集部で確かめてみると、最後の数字が一つ多くなっている。大昔、誤植を指摘すると金貨が贈られたそうだが、図書券が送られてきた……はずはない。

自分はどうだかは……。さあ? それほどひどくないつもり、と言っておこう。

2007年8月21日 (火)

二冊の歌集 そして 日常

テレビを買い換えなければならないらしい。7月ごろから緑色がかった画面になっている。土・日と、近所のダイエーに行ったが、32インチには少しおののく。かつてなら、テレビを持つこと自体、恥じたのだが、さすがにそこまではいわない。ただ、要するに貧乏人は貧乏人らしく暮らしたいのだが……。

昨日の帰り、ブックオフで歌集を購入。荒井直子『はるじょおん』、桝屋善成『声の伽藍』(いずれもながらみ書房)。歌をつくることからまた、遠のいてしまっているが――。

P1010196 荒井は死産を読んだ「紙の柩」がやはりいい。以前、「塔」の見本誌を取り寄せたことがあり、、紹介されていた作品だが、歌集のI、IIは、ライトヴァースということもあり、それほど惹かれない。で、ページが進むにつれて、リアリティをつかむということはこうなのか、と思う部分にくるわけである。ただ、タイポグラフィについては異議アリ。詰め打ち風なのか、かえってよみにくい。この価格帯だと仕方がないのかもしれないが、造本もあまりよくないのである(僕の買った本がたまたまそうだったのかもしれないが)。

桝屋については、初めて知る。ぱらぱらと立ち読みしていて、未来賞受賞とある。「レ・パピエ・シアン」*の創刊メンバー。ただ、「未来」の人としては、たたずまいが古典的なのはいいとしても、高島裕に比べてもずいぶんと岡井シューレの優等生だなという感じがする。

*昨年、この雑誌の電子版に難癖をつけてきたのが「朝日歌壇鑑賞会事務局長」(!)なるネットイナゴだった。

報告ついでに述べておくと、労働法のリライトは8月9日にいちおう終了。ごくわずかの分量であんなにキーが進まないのも反省の材料。

2007年5月28日 (月)

左目!

ブログが滞ったままだった。いくつか。

5月の中旬から下旬にかけて、仕事の依頼があったが、お断りした。目の検査で精神的に不安だったこともあるが、風邪を引き、少し長かったのが一番大きい。日本校正者クラブの総会もとうとう出られなかった。腹を割って――こういう言い方は好きではないが――話したいことはあるのだが。

P1010050P1010052 5月14日に国民投票法(改憲手続法)成立。翌日は産経新聞がどういうわけかお試しで入っていた。欣喜雀躍というところだろう。改憲シミュレーションまで書かれていて、もちろん、産経だから改憲成立となっている……。政界再編の予感というのも、渡辺秀央を過大評価しているし、遠藤浩一のコメントにいたってはお話にならない。

P1010069_2で、目のほうは、4月から近所で検査の必要を言われていたが、やはり左眼緑内障あり。幸い、ごく初期のもので、キサラタンの点眼を続ければとめられるとのこと。ただ、医師の説明がわかりにくい。正常眼圧緑内障なのに、眼圧を下げる?というのはどうしてだろう。不安は残っている。

ドライアイ気味というのも、これまでのいくつかの眼科医の診断とは少し違う。仕事が目を使う以上、気長に対応していくしかあるまい。年なのである。悲壮感はゼロ。

2007年3月23日 (金)

Saizu_ki 34号棟前の桜が咲いた。画像がそれ。あと二三日で全開になるはず。小学校前や団地敷地入り口近くとはちがって、この樹は、あっというまに咲く。昨年は強風に煽られ、散り際もあっという間。

21日から家で校正仕事。20日に国会に行った帰り、電話でオファーが来た仕事である。経済書というのでおっかなびっくりで受けたが、なんと「マルクス経済学」! 校正者をやってきて、マル経に出会ったのはこれがはじめて。しかも協業や分業が出てくる。これだけなら楽しいが、分量が350ページを超えている。ブログの更新などしているときではないのだが……。

2007年3月18日 (日)

48歳になった

前回、石原はトリックスターだと書いた。誤解されると困るが、だから任せようなどというつもりはまったくない。都民にとってはもちろん、首都圏に住む人間にとってもこれほど迷惑な人はいないのである。浅野陣営は今日、事務所開きとのこと。

3月18日は私の誕生日48になった。これで母方の祖父より長生きしたことになる。
だが、格別お祝いもせず、いつも手伝わせてもらっているシンクタンクの雑誌を粛々と校正をしているしだい。である。珍しいことにこの号は歴史研究がテーマなので、まんざら私の個人的な話と無関係でもないのが2本ある。

P1000801_1 どんなものかと言うと……。画像中央で見えているのは戦前、中国で発展をみた日本資本の紡績業=在華紡についての論文。その左で、隠れているのが和歌山県の浜口家の経済活動が出てくる論文。

母方の祖父は、大日本紡績の社員だった。さすがに外地にまでは行かなかったが、同僚には戦争の行方をみて、どう手を回したのか早めに帰国した人間もいる。

和歌山は母の実家のあるところで、高校卒業まで育ったから、図書館で読んだ「郷土の偉人」に出てくる浜口梧陵もなつかしい。祖父の弟の娘さんの嫁ぎ先と浜口家がごくうすくはあるが縁があるというのは母から聞いた。

少しくどくなったかもしれない。ここで♪和歌山県民歌をどうぞ。楽譜音声ファイルがある。さすが山田耕筰の手になるだけあっておしまいの繰り返し部分は「からたちの花」を思わせるつくりである。テノールの独唱(誰かしら?)がカンタータふうに決まっているのは戦時中の時局にあわせた作品の作者らしいとまではいわないが。

2007年3月16日 (金)

桜・ハクモクレン・スモモ

Sakurahakumokuren_1Sumomo_3 外に出ると、近所の小学校近くの桜が咲いている。毎年、団地内のハクモクレンとこの小学校向かいの桜、交番近くのスモモ、そして団地入り口の門柱近くの桜(桜はいずれもソメイヨシノ)の順番。

富士山のふもとからホームページで見事な桜を載せていた、わが師匠・Rさんのところでは咲いているだろうか。当方、久しぶりにデジカメをいじるので、ずいぶん心もとないのであるが……。狭山湖近辺の桜が見事なのだそうだが、時間的に行くあてはないかもしれない。

2007年1月 6日 (土)

賀状のつづき

だらだら仕事をやっているせいで、クリスマスも祝えず、買出しにも行かず。年賀状は、悩んだが、基本的にはブログと同一である。ただ、書体は工夫した。

あそこに引用した文章は、第8章「授業拒否の前後――大学闘争と私」の第1段落の、最初の数センテンス。
段落自体は、こう終わる。

……勝利した闘争が正しく、挫折した闘争が間違っているのではない。数多くの後者が唯一の前者を準備する。そして「挫折した」といっても、その中で実は飛躍的に何ごとかがなされているのである。飛躍が顕在化しないだけだ。だから、本質的には闘争の敗北はありえない。むしろ闘争は継続する。

そして、それに続く比較的短い段落の終わり方といえばこうだ。

……高揚したところで一挙に走りこむことは、それなりの困難さは大きいにしても、精神的には比較的に容易なのであるが、そのあと日常性にひきもどされた時に、ほとんど進まないようでいながら、前に向う姿勢を持続する、ということの方が精神的にはよほど困難であり、しかもその困難を持続することが、逃れ難く背負い続けるべき課題として存在する。

1971年という、書かれた時代は感じさせる。というか、ずいぶん楽天的だなという気さえするのだ。だが、こういう展開になっている文章でないと、新年にふさわしい元気が出ないだろう。

もっとも、数枚の得意先宛だけは、宛名職人(プリンタバンドル版)の図案に頼った。勇気(私は、これをRさんに教わった)と、無鉄砲は違う。

2007年1月 2日 (火)

新年のご挨拶

謹賀新年
あけましておめでとうございます。
P1000576 新年最初の読書となった、田川建三『批判的主体の形成』で、こころに残る言葉がありました。

歴史上の出来事や闘争の記録を読む場合と、実際に自分がその中で生きて、ことを担っている場合と、一つの点で、決定的に異なる。(中略)記録や物語には、最後の頁がある。しかし、我々が生きて戦っている時には、最後の頁はないのである。一つの闘争には、何らかの形で、必ず終りがある。けれども、その闘争を担った人々の生は、そこで終るのではない。(同書、一九五頁)

「歩いてゆくしかない」、ということでしょうか。まして今年は、年男。

私自身についていえば、昨年後半来、極めてささやかであり、かつよたよたとではありながら、「市民的不服従」というべきものにも関わり、多くのことを考えさせられました。
皆様のご多幸をお祈り申し上げます。

亥年元旦

2006年12月22日 (金)

お口直し

すこし口直し。いい写真をちゃっちゃっと撮ってしまう、ある意味での私の師匠(そんな、大げさっすよ、と言うかしら)のRさんには遠く及ばないが――。

P1000409 1枚目は叔母の家から送ってきた柿を最初に吊るした日のもの。実はもっとあったのだが、近所の人に上げて減り、吊るすのが面倒と、笊に干しておいたのは見事にヒヨにつつかれた。しかし、渋柿だったので、向うも「リンゴくらい置けよ!」「バードケーキくらいつくれよ! 暇なんだろ!」「野鳥の会会員だろ!」と不満に違いない。

123_1 2枚目は私の住まいの近く。ヒヨはここに住んでいたらしい。もっとも、撮影してから二週間以上たち、もう丸裸になってしまっているが。
思い出すのは、やはり佐太郎である。
・このごろのとりとめもなき彼(か)の岡に曾(かつ)て公孫樹(いちやう)が黄にかがやきぬ(佐藤佐太郎『歩道』)

2006年12月16日 (土)

教育基本法改定案通過

15日。共謀罪関連の集会で国会へ。
Photo_10 しかし、議員会館の中は、そんなことと全く関係なく行動する人もいる。地方からの陳情団、議員の後援会の東京ツアー。そしてその人たちのお土産がこれ。晋ちゃんまんじゅうの「美しい国日本!」「平和な日本!」にいたっては、バッド・ジョークとしか思えない。

Photo_13 アッキー・ラッキー・クッキー……。たしかに、野党の攻め方の拙劣さにも助けられているのだから幸運だろう。

私は、憂い顔のカッサンドラを気取るつもりはない。ただ、この一ヶ月あまりのことは、苦い教訓である。よもや、こんなにあっけなく、改定されてしまうとは。まことに、「もう、あまり時間はない」らしい。教育基本法のとき、14日は参議院の議員面会所にものすごい勢いで抗議の人々が押し寄せたのだが。

Photo_14Photo_15共謀罪+教育基本法で、サンタクロースの衣装に身を包んだデモが、練り歩いた。思想はさまざま。そして、このデモを提唱された人が、最後までブログで呼びかけをされたことには、頭が下がる。

私自身、もっとフォーマルなデモにも行き、どうしても違和感の残るシュプレヒ・コールもやったが、ことはその前に決していたといっていい。

政府のお手盛り諮問機関ですべてがきまるという方式である。中曽根時代に靖国公式参拝をあれでやられて、記憶に残っているが、みんな忘れっぽいのだろうか。ウェブ上の記録を読む限り、床屋政談でしかないが、とにかく意見は聞いたという形は作ってしまっていたのだ。進歩的な学者たちも、よもや、あれで通るとは、と思っていただろう。『世界』あたりが、ときどき特集は組み、ブックレットを出すことは出す。しかし、その運動は執拗さに欠けていた。

真理こそは、最後の勝者である――南原繁の言葉だ。真理の勝利をめざして、歩いていくしかないだろう。

2006年12月 9日 (土)

共謀罪、である(2)

12月3日の、お話の続きである。

途中から、制服・制帽の警官がつけていた。最初のデモでは、私服が、うろちょろしてるだけだったのだから、取り締まってやるぞ、ということらしい。イヤだな、とは思っているうちに、とうとうストップが。横断幕を広げるな、ということらしいが、要領を得ない。太ったおまわりさんが、「ルールを守りなさい」 といったけど、小学生じゃないしねえ。いったん、休止してふたたび歩き出したが。

Photo_19 あっという間に警官が並んだ。そして、金網がついた車がやってきた。写真を撮らなかったのが残念ですが、平和な銀座だから余計インパクトがある。

Photo_20 どのような法規によって、われわれを規制するのかについては、警備課長という人物は、答えない。「〓のおまわりさん、黙ってしまって・・・・・・・・」という感じ。

以前、こういうデモにやりこめられたからだろうか。「一言えば、三返ってくるからな」と悔しそうにいう。にらみ合いはそんなに長い時間ではなかったが……。結局行進は流れ解散。

・怯えたる顔の歪みもまつぶさに鉄棒深き眼より見られつ
・物言えば叫びとならむ一瞬も光り見ゆわれらを灼くごとき眼ら
・杭のごとただ耐えている胸の前われらに壁である肉ありき

私の尊敬する歌人・田井安曇(歌集発行当時は本名の我妻泰で活躍)の『我妻泰歌集』から。

田井さんが詠んでいるのは、60年安保闘争の、盛り上がった中での、状況である。私の直面したのは、それよりはるかに小さいものだったが、それでも、市民の萎縮というものを知る手がかりにはなったのだった。そこから、作品が出てこないことはこれは私が駄目なんだろうけどね。

2006年12月 5日 (火)

共謀罪、である(1)

でもって、最初から共謀罪である。12月3日、有楽町マリオン前で行われた、銀ブラパフォーマンスに参加したのだ。
すばらしく晴れた日。家を出がけに撮ったのが、むくろじの黄葉。私の服装はブレスサーモのレインコートに、カシミアのジャケット、シルクのネクタイというもの。写真がないのが残念である。
_p1000351私の住んでいるところ(郊外とだけ申し上げておきましょう)独特のさわやかな初冬晴れ。
最初の一時間はいわゆるビラまき。そしてリレートーク。冒頭の服装をしてきたのは、これを意識してだったのだ。デジカメを撮るほうに熱中し、自分の画像がないのが残念だが、たまたま、待降節第一主日であることを題材に、本来なら、教会で祈っていたいこと、しかし、すでにアメリカでは2003年、イラク戦争をめぐっての、カトリック信徒の穏やかな市民的不服従に対して、実体罪は無罪になりながら、共謀罪で検挙されたこと――06年に、共謀罪は無罪になったが――を少し話した。組織がうしろにいるわけでもない、ごくふつうの人たちにとり、共謀罪での有罪は刑期や罰金額が跳ね上がる、狂暴なものなのだ――。
話し終えて膝ががくがくした。スピーカーから出る音に勇気付けられて、足に力がはいりすぎたらしい。

1時からホコテンを歩く。ミュージシャン、ルポライター、刑法学者、弾圧反対を訴える人々といった構成で歩く。一往復目は拍子抜けするほどの静かさ。背中の日差しが気持ちいい。

無事、マリオン前に帰ってくると、。100円ショップのグッズを持ち込んでくれた人が到着。これがインパクトあり。「みなさん、私はサンタクロースです。安倍さん、共謀罪のプレゼントはいりません」で、注意を引くことに成功。ちなみに、このサンタの手にしているプラカーPhoto_21 ドは私の作品。ビラのはけ方もだんだんよくなり、反対署名をしてくれる人も出てきた。ジャケットにタイの私も、ありがとうございますとお礼。

 

後半、サンタ役が、交代。二往復めにかかったのは、よかったのだが・・・。

Photo_22

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