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2012年4月 6日 (金)

読んだ本・買った本

■読書
つまみ読みだった『オリエンタリズム』を一応通読し終わったあと、山辺健太郎『日韓併合小史』。学部2年の時、他学部聴講でとった「東洋史特論」(宮田節子)で知った本である。岩波新書だから、薄いはずだが、こちらもつまみ読みしかしていなかった。校正仕事で、マーク・ピーティー『植民地』を担当した際、この本のお世話にはなったらしく、あちこちに線が引いてある。正味、四日で読み終える。朝鮮という国が地図から消えてしまうまで、まるで雪玉が大きくなっていくような感じで読ませる。3月に亡くなったOさんがその晩年にくれた賀状で「学生時代に読んだトルストイやマルクスを読み返しています」と書かれていたのを不意に思い出す。

■購入
・三枝昂之『昭和短歌の精神史』角川文庫
親本(ながらみ書房)をつい買い漏らしていたので、さっそく購入。たしかに、色川大吉の『明治精神史』(黄河書房→講談社現代文庫→岩波現代文庫)タイプの物語的な語り口で各章をはじめたりするところはおもしろいし、戦犯探しの過程の恣意的な性格など、単純に善玉・悪玉で短歌史は書けないということを教えてくれるのだが……。いくつか疑問はなくはない。
たとえば……第二芸術論を軽薄で短歌の独自性を踏まえていないものとして叩く。ただし、これはいまだから言えることだろう。あの論争等が行われた当時でも、何もあれから学ぼうとせず被害者意識で対応した歌人はいるし、結社の小ボスならばなおさらそうだった。もし、あれがなかったら、日常性の安易な肯定の上で歌壇が栄えることはあっても内容が深くなることはなかっただろう。
あるいは……山崎方代が人名索引に出てこない。ああいう生き方は著者の想定外なのか。あるいは、村田利明が出てこない。あれも想定外なのか。「戦争中なのだから協力は当たり前」と考えて空疎な歌を作る人もいれば、それとは別に「個」を守った人もいる。アウトサイダーの出てこない精神史になっているのではないか。
さらに……昭和天皇の名は何回か出てくるが、歌人としてではなく、大日本帝国の主権者としてである。著者は、昭和天皇の短歌についてどう考えているのだろう?

・串田孫一『北海道の旅』平凡社ライブラリー
これは上質。

2012年3月20日 (火)

吉本隆明氏死去

3月16日に、吉本隆明が死んだ。学部を出てすぐの頃は、角川が三部作を文庫化したり、朝日出版が今西錦司との対談を出したり、そして反核運動への異論が出て大問題になったりしていた。コム・デ・ギャルソンを着て埴谷雄高に批判されるまでの時期である。詩や詩論だとすっとはいっていけるのだが、思想論になると、晦渋だし、「生活者の実感」というものにからめとられてしまえば、じりじりと表現が常識論に退行していきかねないので、今でも鬼門に近い。

だが、『言語にとって美とはなにか』は今でも頭を下げておく。短歌的喩の部分は最良の短歌入門だった。ご本人を拝見したのは一度きり。1989年の秋に名古屋で「中の会」がシンポジウムを行ったときのゲスト講演者が吉本氏でずいぶんがらがらな話し方をする人だなと思ったが、内容は『言語美』からそれほど離れてはいない。

しかし、昭和22年工大電気化学卒というのだから、父と同年卒。電気化学と応用化学ではそれほど接点はなかっただろうし、仮に顔を合わせていても、米沢高工と三高では肌は合わなかっただろう。ただ二人とも共通しているのは後期中等教育から大学教育前半にかけて、学徒動員のせいで、身につけるべき専門知識にかなり穴があることだ――父の工大時代の成績表を見る限り、おそらくいくつかの科目は、授業を受けられなかったろう。

母は父から工大での文芸雑誌の存在など聞いたことがない。仮に出くわしていたとしても、プライドの高い父が山形出身の鋭い詩人を素直に認めていたかどうか。

しかし、全共闘運動たけなわのころの背広にネクタイの写真は、よく見れば工大顔である。エンジニアの顔なのだ。特研生論文が色彩で東洋インキというのだから、まともすぎるほどまとも。卒業後、すぐ就職がなかったというのも、父と共通している。

2011年11月21日 (月)

「光と翳の領域」そして、外山八郎さんのこと

串田孫一『光と翳の領域』を昨夜読了。『若き日の山』を味わいながら読み終えてすぐ、こちらにかかっていた。

講談社文庫のこの本を買ったのは中学生時代で、高校になると串田さんふうの文章を書いてみたりした。だが、あれは、串田さんだから成り立つ芸なのであって、くちばしの黄色いガキがやると嫌味極まりない。そういう挫折があり、『光と~』は東京へ持ってきたのに全部は読まなかったのかもしれない。今から考えるともったいないことをしたものである。著者自らの装丁にかかる「渡辺=串田流」とでもいうべきカバーはいつしか、取れてしまって、もうない。

この自選集は、戦前のものとしては唯一「牧歌」を収録しているが、これはなかなか骨が折れた。戦前の串田青年がどのような毎日を送っていたのかはむしろ「ある街」「紅色の薔薇」「古い詩集」「火曜日の午後」で雰囲気が伝わってはくるが、東京高校―帝大って、ナンバースクール以上にエリートなんだなという感じのほうが感動よりも強い。「手風琴で遊んだり、カロムを弾いたり」ってんだから。カロムとはビリヤードのことだ。パスカルをテーマに選んでいたなら三木清の研究との同時代であり、もっと暗い雰囲気になりそうなのだが、別世界のようなのだ。

ところで、「白い船」で「紀州から夜行列車で帰ってきた」というのがあるが、串田さんは外山八郎さんと話したりしたのだろうか――。
 母の世代、外山さんは私の母校の商業科(のちに独立して田辺商業高校。現在の神島高校)で教えられていた。「はっちゃん」(第一音節を高く発音)の愛称で親しまれた温厚な先生だが、テストの採点はきついので有名。暁星―東大という高学歴にもかかわらず、肺の療養のために帰省し、地方都市に居ついてしまったのである。ナチュラリストというつながりもあって、親交があってもおかしくはない。
グーグルを使い、Wikipediaを使ってみると、びっくり。ナチュラリストという以前に、銀行家の家に生まれ、暁星―東京高校―東大というコースだし、カルヴァンの『ジュネーヴ教理問答』のフランス語からの翻訳といい、これは接点がないほうが不思議(ついでにいえば、外山訳の『教理問答』のしばらくあとに森有正(1911年生まれ。やはり暁星―東高)のカルヴァン翻訳が同じ長崎書店から出ている)。

しかし、関西学院や同志社あたりからリクルートがあっても不思議ではない人なのに、なぜ田辺にとどまられたのだろうか。プロテスタントにはおりおりこういう人がでる。ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語ができるのに、大学の教授にはならず実業人だったり裁判官だったりする人。在宅ケア協会のHPに外山さんを追悼しての礼拝が文章アップされており、感動。私は、幼稚園時代の後半を、この長老派教会の経営する田辺幼稚園で過ごしたとはいえ、カルヴァンの徒にならず、ザヴィエルの徒になってしまった(笑)が、やはり尊敬すべき人の前では帽子を脱ぐ。
外山さんが東亜研究所におられたというのも、初めて知った。水田洋さんと1年ほどかぶるし、内田義彦さんもおられた所である。フランス語に堪能ということだから、インドシナ関係でも担当されていたのだろうか。ただし、これ以上、書くのはやめておこう。誠さんの言葉がある。
「故人がたたえられることは一切しないで欲しい。神様だけが讃えられてほしい。それが父の希望だ」

2011年11月 2日 (水)

『若き日の山』

8月の帰省で串田孫一を3冊持ってきた。

P1020182 父は山登りやスキーを愛好したから、この本もその蔵書の中の一冊である。中学時代耽読し、『私たちはどう生きるか』なるシリーズの『串田孫一集』(1960年刊行)を図書館から借りて書き写したくらいだから、出会いは古い。『世界の思想家』での、火あぶりにされたジョルダーノ・ブルーノの話はもう覚えていないが、寝転がって本を読んではいけない、人類の苦闘への敬意をこめて読んでほしいというくだりは不思議に覚えていたりする。

『博物誌』(ⅢとⅣ)は町の書店で買った。だから関嘉彦の名は社会思想社の現代教養文庫の書目リストで知っていた(そういえば、串田さんは中央公論社「世界の名著」の編集委員の一人でもある。ベンサムとミルを一冊にした巻を担当された関先生と、どこかで話したりしたのだろうか。学部ゼミのコンパで聞いておけばよかったのだが。

もっとも、大学に入り、哲学を専攻する人間を身近に見るようになると、串田さんの作品を読み返すことはなくなった。

これは僕が登山をしないからでもあるが、それ以上に、ヴォルテールやルソーについて、否パスカルについてさえ、社会科学的な研究の存在を知ったこともその原因かもしれない。「水田洋さんが、山という趣味は同じでありながら、串田さんの研究にあまり言及されないのは、おそらく『社会科学がない』からだろうな」と思ったりもした。まれに早く起きた時など、FM東京の「音楽の絵本」が入ると、拾い物でもしたように嬉しかったのは覚えているが……。

30を過ぎて小金井の教会に通うようになってからはこの作家が小金井市緑町に住まわれていたことなどもう忘れていた。奥付にアドレスの載った『博物誌』は高校を出るとき家に置いてきたままで、その後、私は進路の選択を誤り、処世に失敗し、劣等感でいっぱいの人間になっていた。もうひとつ、世の中で、ある種のタメの有無が問題を決めることがあるというのを感じざるを得なかった。実業界の大立者を父に持ち、小学校から暁星という串田さんの世界は限りなく遠く思われたのだ。

だから05年に亡くなられた時も、寂しさはあったもののそれほどの深い感慨はなかったのだが、いま、読み直してみると、清い泉と大気にふれるような気がする。「お前の喜びはそこにこそあったのに!」だ。

『若き日の山』は1955年刊。河出新書。55年も前のものだし、愛読したし、加えて、湿気の多い家で保存していたからか、紙質はがさがさになっている。

中・高校生時代には前半を中心に読んでいたような気がするが、今回、久々に読み返してみて注目したのは「荒小屋記」。山形県新庄市の農村地帯に疎開したことは、三代続いての江戸っ子に、もうひとつの世界を知らしめたのではなかったか。

それまで山への途中に農村はあっても、あくまでもお客様でいられたのだが、戦争はそれとは違う農村の顔を見せたろう。山男らしく、なんでも自分で物惜しみせずするのが幸いしたとはいえ、農村では農民が主役なのだ。そして自然に近く生きるということは何かを串田さんはここで学ばれたのではなかったか。そういうなかにあっても、やはり自然は荘厳で、動物も植物も命を燃焼させる。帰京は昭和21年と早く、本人が感じているほど、取り残されたわけでもなかったのだが――事実、戦後の混乱を機に地方に土着してしまったという人はいる――不安の中で、フランス人の書簡を解読していくことでかろうじて己を支えたというときの串田さんは、まさに生きるための思索をされたのではなかったか。

2010年12月20日 (月)

HDDを買ったついでに

ノジマで買ったHDD(1TB)がコンセントが必要なタイプだったので、通電していなかったのが幸いと、返品。で、USBにつなぐだけという携帯タイプに変更。高くつくのは承知の上。パソコン購入時のポイントで払った。

上の階の紀伊国屋が充実しているのがうれしい。

植村邦彦『市民社会とは何か』(平凡社新書)購入。かつて、スミスをテーマに選び、結局研究者にはなれなかった人間としては、かつんとやられるような気分。もう一冊は片山杜秀『ゴジラと日の丸』(文藝春秋)。あの名コラム「ヤブを睨む」が帰ってきた!

2010年11月26日 (金)

「シリーズ高度成長の時代」「社会・労働年表」

69971_sml1 6月から初稿を担当した『シリーズ高度成長の時代』(大月書店)、まず第1巻「復興と離陸」が10月20日に刊行。カバー、東京タワーといえば、『三丁目の夕日』になりそうなところ、モノクロでリアリティ溢れるものとなっている。まさに「過去のさまざまな体験から懐古的で快適なものだけをとりだす歴史感覚」へのアンチテーゼ。もっとも、アメリカとの経済関係が、分量の関係からか、あまり出てこないし、経済政策をめぐる論争も取り上げられていない。体制側からの総括は、たとえば、吉川洋『高度成長』(読売新聞社)でされているのだから、そうでない側からの総括があっていい。全3巻だが、本当は5巻はほしいな、とも思う。
*もっとも、西岸良平の原作には「春闘」をめぐって労働組合の「山田さん」が六さんに「君んとこは総評系、同盟系?」と聞いたりするシーンがあり、映画が甘すぎるのだ。

『社会・労働年表』(旬報社)はどうにか全体の半分(=私の担当分)が終わった。

2010年2月25日 (木)

灯台下暗し

23日。散髪。シャープペンを買う。三菱鉛筆の「くるとが」。芯が太くならないという説明で、たしかに疑問やコメントを書き入れるのに便利。しかし、結構精密らしく、気軽には使えない。
西武線で帰ってきたが、駅の東口の本屋に寄り道。
岡義武『近代日本の政治家』があり、今月新刊の高安国世訳『リルケ詩集』(岩波文庫)とあわせて買う。地味ながら、岩波の特約店なので文庫が結構ある。蘆花の『謀叛論』まであり、こんなことなら図書館でコピーなどとるんじゃなかったよ。まったく灯台下暗し。いやいや、一昨年はここで『職工事情』を発見して購入したのだから、やはり今回の仕事、コンディションが十分ではなかったのだ。

リルケは高安さんの訳。こんなものがなぜひっそりと文庫新刊でと思ったが、よくよく見ると講談社の詩集→講談社文庫というコースをたどったらしい。かつての自社親本→自社文庫だった岩波とは比べ物にならない柔軟さ。

この夜、仕事で使った『石橋湛山評論集』(岩波文庫)を読了。専業主婦モデルは立ち行かない(生活のため夫婦働くのが当たり前になっている)という指摘、植民地放棄論(東大の河合栄治郎が「議会主義」ゆえに満州国承認へと引きずられていくのと大違い)、軽武装・協調外交路線と、少しも古くなっていない。この文庫の初刷は、たしか、湛山生誕100年に出されたはずで、石田博英と編者の松尾さんとをゲストにした講演は小野講堂で聞いたはず。

2010年1月23日 (土)

菊池武夫「週刊文春 新・家の履歴書」

週刊文春1月21日号「新 家の履歴書」はファッションデザイナーの菊池武夫である。読んでいて、いくつか、気になったことがある。
  1
編集部あるいは取材・構成を担当したライター(小柳美佳とある)がつけた要約――オモテケイを上に通した部分で、おかしいところが一点。文化学院の学生時代とおぼしき―時代について、
「銀座で仕立てた服を着て颯爽と歩く菊池さんは、学生の頃から目立つ存在だった。当時、若者に絶大な影響力があった「平凡パンチ」のファッションページに何度も私服で登場したというエピソードが何よりの証拠だ。類は友を呼ぶではないが、同じく銀座のテーラーで洋服を仕立てていた麻生太郎前首相とも交流があった。」
となっているが、これがおかしい。

前後を見てみると、文化学院入学後、戸川エマに松竹ニューフェイスのオーディション受験を薦められ合格したことがあり、さらに次の要約部分に61年に文化学院卒業とある。ちなみに、麻生太郎が学習院大学を卒業するのはWikipediaによると63年。

平凡パンチが創刊されるのは1964年だ。だから、文化学院学生・菊池武夫がこの雑誌に掲載されることはありえないことになる。

校正の疑問はどういう風に出たのだろう? 

私も、買ったその日は気がつかず、数日後、実は以前に私が校正した吉川洋『高度成長』で、東京五輪の年に「平凡パンチ」が創刊され、表紙は大橋のイラストだったとあったのを思い出し、確認してみて、やっぱり…と思ったのだ。

2009年8月13日 (木)

『アララギの脊梁』『田井安曇著作集』

7月28日、ヘモグロビン10に。回復したものの、少ししんどいのは残っている。

6月以来、都内の本屋に行けないので、ネットで少しばかり、本を買っている。
・大辻隆弘『アララギの脊梁』青磁社
IIIから読み出した。田井安曇を扱った二本の論文がとくにいい。「時間意識」と「性」をそれぞれ補助線にして描かれた像は示唆に富み、この二本だけでモトを取ったという感じ。それにしても、この二編――とくに後者はなかなか過激――は「綱手」に書かせた田井さんも懐が深い。それで、とうとう、石神井書林で買ってしまったのが、
・『田井安曇著作集I~VI』不識書院
もっと早くに購入しておいてもよかった。「日本の古本屋」にはだいぶ前から数セットあったのだから。
詩歌系結社にいたころ、断続的に読んでいた、「アララギ非主流寸描」や、東中野の図書館で読んだ『拍車と準縄』(著作集では解体されている)、ももちろんいいが、宮本利男を描いた『ある歌人の生涯』がいたましく、そして感動的なのだ。

今年になって出た『千年紀地上』も、詩が痩せているという感じがあったのだが、精読してみると、違って見えてくるかもしれない。

2009年6月20日 (土)

松村正直『駅へ』

最近、読んでるのは
松村正直『駅へ』
作者のホームページから注文して、いま、6割かた、読み終ったところ。

装丁・戸田ヒロコとあり、いっぺんで好感度が上昇。というのも、戸田さんと同じ組合にいたためである。プレインで読みやすい。

私自身、80年代末葉から90年代の前半まで、詩歌系結社にいたし、時代が圧倒的に口語に振れていたので、口語の歌を詠む人にはちょくちょく出会ったが、それとは違う感じ。うるさくないのである。四百十五首の中で、音楽が鳴っているうたがない。「俵万智現象」のころ、サザンだったり「ホテルカリフォルニア」だったり、ビートルズだったりがいつも小道具としてチャカチャカ鳴っていて、違和感を感じていた――、あとで中島義道の「うるさい日本の私」を読むとどうやらこの違和感がわかったが――。『駅へ』はそれとちがって、道具立てがごちゃごちゃしていないのである。部屋の中もおそらく家具が少ないだろう(後半三分の一は、今後家具は増えていくだろうと思わせるが)。

これは朝日の「人脈記」でそこはかとなく新聞記者が匂わせたような時代の反映というのでもない(新聞記者は時代のインデックスとしての理解しかできない)。たしかに体温は低いかもしれないが、病んではいない。

函館~福島~大分と漂泊するストーリーはあっても、山田洋次ふうにならない。ローカルカラーを出さないのは、三浦展ふうにいえば「ファスト風土化した日本」の象徴でもなく、やはり、あえて拒絶しているのだろう。そのあたりは相当意識的である。風土性の欠如についての吉川解説も見事。

口語主体といっても、よくある「荒削りだが……」といって頭を撫でられているタイプの歌と違い、つくりは周到。小池光ふうにいえば「溶接」状態は使うし、平板報告詠を逆手にとったうたもある。前衛短歌運動が半世紀以上たって完全に咀嚼されているというのが私の感想。

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