2008年7月10日 (木)

新刊のこと、など

7月7、8両日、出張校正。やや目がすべり気味。3本、いっしょに走らせたばちである。6日夜あたりから、もう、その気配があり、印刷所が来るまぎわ、ゲラに東京大学社会経済研究所とあり、敏腕な担当者に指摘されて赤恥をかく。5級での表組みが記述統計表としてはいっていて、そちらに気を取られていたのだった。バックネットぎりぎりでキャッチというわけ。とまれ、7日に仕事の大半が終わったので、8日、神保町で会合に。この集まりについては後日書くことにする。

P1010606 画像は、だいぶ前(6月27、28の両日)に届いたもの。白鳥の歌になるかと思いながら校正しましたが、ハイ、生きております。
須田努『イコンの崩壊まで――「戦後歴史学」と運動史研究』
本間慎編著『新データガイド地球環境』

『イコン~』の第1章は、戦後歴史学の、歴研側からの総括。小熊英二『<民主>と<愛国>』への答えなのかもしれない。個別の論点については、果てしない論争があるのだろうが。
『地球環境』は、洞爺湖サミットに合わせて(?)ちょうどいいタイミング。こちらは、版型の関係から、図版の文字が小さくならざるを得ない箇所があって、豆本をつくっているのではあるまいに……と心配していたが、出来上がりは上々。

2008年3月17日 (月)

仕事はしているわけで。

仕事はしておるんかい、といわれそうなので、一応、報告。
しておりますよ。一昨日、受け取ったのが、これ。

08giants_l1_4 対校(いわゆる読み合わせ)をやったのは、何年ぶりだろう。表組みを2人であわせるのは、楽に思えるが、は、呼吸が合わないと物凄く疲れるものである。実は、これをやったときは左目がごろごろして、2時間おきに点眼していた。相手は50くらいのベテランで、さぞお気を悪くされたと思う。結局、あまりにつらいので、初校を終えたところでリタイア。仕事を世話していただいた大学の先輩にも、ベテランの人にもご迷惑をおかけしてしまった。

08kokoro_l1_3 こちらは、昨年末と今年の1月に、初校・再校とかかわった。92ページに富山県射水市などという地名を見ると、かのN郡長を思い出し、どんなところかと思う。校正の参考にと提供された写真のコピーはなんのことかさっぱりわからなかったが、色校正になるとだだっぴろい麦畑の上をツバメが飛んでいる写真とわかり納得。

アンドリーセン、結局あのあとユーズドを注文した。宮崎の店からクロネコメールでやってくる。多少の難は覚悟しつつ、高橋和巳の作品、たとえば、『革命の化石』とか未完に終わった『遥かなる美の国』を勝手に連想しながら楽しみにしている(人文研の系譜!)。

2008年3月11日 (火)

お役立ち二つ

10ページほどのリライト関連の仕事、やっと終わる。昨年、植木特集を数本断念してたたき台を準備したゲラが監修者の手を経てもう一度出てきたが、10日のお昼頃、宅急便で送ってしまった。
重宝したのは次の2冊。
P1010466_2  『判例六法Professional』 文字が小さいので購入を躊躇したが、結果的にはよい選択だった。ここ数年『小六法』を使っていたから、有斐閣になじんでしまっている。わざわざ、三省堂の『模範六法』にもどるまでもないだろう。学部時代、最初に使ったのは後者の系統だったし、知っている弁護士はみな三省堂のほうを好むが……。『Professional』は公法と社会法が同じ01巻なので、いろんな運動をされている人に意外とお勧め。もっとも、労働法と民法の整合性という問題があるので02が新しいままというのは「シロートだなあ」と言われても使用がない。
『労働関連法規集 2008年版』 労働政策研究・研修機構の発行。コンパクトで使いやすい。08年版、やっと出て、ゲラの再校チェックには間に合った。お値段も1155円(税込み)。指針や施行規則をいちいちネットで探したりしないで済むのはそれだけでも気分が楽になる。

2007年8月24日 (金)

『資本論』と産業革命

初校を担当させていただいた松石勝彦『「資本論」と産業革命』青木書店が、刊行された。当初とは題名も変わり、かなりの加筆があったみたいである。みたいである、というのは、校正した本はそんなにしげしげと読まないからだ。怖いし。思い出したのは、ボウルトンとワットが特許をめぐっては案外こすっからかったというところである。私は、内田義彦経由でしかワットを知らず、スミスの友人として理想化した像を描いていたから、そのあたりは面白かった。

ただ、参考文献に小松芳喬『英国産業革命史』(現在は早稲田大学出版局から出ている。小松先生は晩年までこの本を改訂されていた由)がないのは、少し不満。ブリヂウォオタとかびいるとかいう表記(固有名詞はなるべく現地発音。日本語化しているものは場合によってはひらがな!)にさえ慣れたら、読みやすいいい本なのだ。小松先生の考えだと歴史上の切断ではなく、連続を強調することになる=新トーリ主義だ(大塚学派からの批判でもある)ということに加えて、早稲田と一橋の違いというものあるのだろうか。増田四郎さんの訳されたものは入っているのに……。

液晶テレビの候補を探す。圧迫感のない暮らしがしたいので26インチになってしまう。だが、小さくなると倍速ナントカもないし、たしかに性能が落ちるのも事実。

ソニー(他の店で連続テレビ小説を見るとえらく白っぽい)、ビクター(高級機があったので、みたら、オレンジがかっている)、と意中の機種を落とすことになるのかもしれない。

2007年5月 9日 (水)

祖父のことなど

Mihiraki_13月18日に初校画像をアップした、『日本労働研究雑誌』562号、4月25日に無事配本。今はもう6月号の最終校正が明日・あさってとある。この号は、特集名「歴史は二度繰り返す?」でもわかるように歴史と現代のというのが素材で、日頃、経済系の図表に泣かされている私には、うれしい仕事だった。画像の、桑原哲也「日本企業の国際経営に関する歴史的考察――両大戦間期、中国における内外綿会社」は、戦前の中国での在華紡をあつかったもの。

Gakureki_3

途中、ホワイトカラーの学歴の話がある。内外綿(ないがいわた)が20人採用したホワイトカラーで14人が旧制中学・工業学校卒だったらしい。 私の祖父は、苦学して明治大の専門部を出た後、大日本紡績に入社し、関が原工場長目前で病に倒れた。母は祖父をエリート社員のようにいう。生意気な私は、専門部出がそれほどエリートなのかと疑問を持ったが、戦前、学部卒業者は別格だったようである。これは、戦後、農業高校を卒業後、日清紡で働きながら(1954~58)学んだ経歴を持つ藤原保信氏が自伝『学問へのひとつの道』で「大卒者は別格扱いだった」と述べられているようにある時期までは続いたらしい。

苦学といっても貧しかったわけではない。だが、曽祖父の期待しているような、地元の師範学校を出て教師のかたわら小規模な地主をやっていくというコースをとらなかったのである。師範学校を出て近所の学校で教えたあと、「洟垂れ小僧の面倒など見ていられるか」と啖呵を切って大阪に出た。

曽祖父の二人の息子のうち、秀才の弟(私からすると大叔父)には目をかけていた。八高―帝大と進み、安田銀行を経て大阪の木材問屋の婿養子に行ったのだから気に入らぬはずがないだろう。村で評判の孝行息子で田畑の手伝いも勤勉にしたらしい。性格も温順。

それに引き換え、兄はといえば、早稲田に進もうとしてかなわず、関西大を中退して一時、小さな銀行に勤めていたらしい。明大時代はホテルのベルボーイをして重光葵に気に入られ、後年、ネーブルを送ると書をもらっている。達筆な手紙はなくしてしまったらしいが、特命全権大使の名刺と、昭和史関連の本で必ず使われている例のステッキ姿の写真は家にある。

祖父の病は肺結核だった。当時としては恵まれた環境で3年の休職期間中、療養に勤めたが結局、直らぬままに退職し、戦時下、故郷に帰ることとなった。軍需関係とコネがあった弟は必死にバターやチーズをどこからか手に入れてもってきてくれたが、何しろ、寝ているだけであり、農村でも食糧が手に入らない。敗戦の年の9月に祖父は亡くなった。両肺とも空洞になっていて、いよいよというとき「アニヨクナイ キミヲマツ」という電報を母が郵便局まで打ちにいってすぐのことだった。

2007年4月23日 (月)

めでたく終了(?)

Junposha2Junposha 『日本労働運動資料集成』最後の巻の校正を午後3時過ぎに発送。今回、担当したのは2002年分。さすがに、この時代ともなると、現在進行中で、しかも「♪明けて万国世直し祭り」(伊藤アキラ作詞『二十一世紀音頭』というわけにはいっていないのはいうまでもない。
あしかけ3年間、小さいロットだったが続いていたものが、終わってしまうとなるとそうそう感慨にも浸っていられない。「♪どこへ行くったって、どこへ行きゃいいんだ」(塚田茂作詞『めんどうみたョ)という悲壮感はまったくないのであるが。

なお、ゲラの色が違うのは、もちろん、こちらのミスで。最初のページはISO800で、最後のページと原稿はISO80で設定しているため、こうなったらしい。ゲラについていえば、実感に近いのは最初のほうである。

2007年4月13日 (金)

Das Kapitalも遥かになりつ

3月23日に少し書いた仕事は思っていた以上の難物だった。375ページという分量もあったものの、問題は内容である。KⅠ(=Das Kapital erster Teil)という記号が随所に出てくることでもわかるように、マルクス経済学にたった生産様式論。

Photo はじめのうちは、なつかしいと思った。『資本論』の第1部(大月国民文庫版の最初の3冊)なら二十年ほど前の夏、うんうんいいながら読んだ覚えがあり、よく見ると、1987 February 19と三冊目の国民文庫広告ページに書いてある。

専門の勉強の隣接領域ということで、経済学史に首をつっこんだこともあり、スミスやファーガスンの分業をめぐる問題も出てくる。もちろん、大塚史学も(私の学生時代、大塚久雄はまだご存命だった)。自分の勉強が役に立つかとも思ったのだが……。

Photo_3 ところが、これが内容以前に、原稿整理的な要素も含む仕事だったため、後半、大苦戦。大塚著作集の月報に、戦時下、校正を手伝った人が誤植を多く出してしまったと書いているのを思い出した。

P1000915_2 初校なので、それほど悲観することはないのだが、わかっているものほど危ないものはない……。

団地の桜しか見ずに過ごした割にはいい仕事が出来なかった。今日のタイトルは坪野哲久から。だから、おしまいの写真も「桜」。3月30日撮影。3月に入っての寒さのせいか、今年は、勢いがない。

2007年3月14日 (水)

本が出ました

校正した本が出たのでお知らせ。

Ishiharaaoki 小宮昌平・石見良太郎・武居秀樹編、東京問題研究会著『石原都政の検証――世界都市・マネーゲーム・大東京主義」』青木書店)の初校担当。

石原都政をこれ以上続けてはいけない、とお考えのみなさん、正直、おすすめです。2,310円(税込み)

ただし、反石原陣営が分裂した状態で進んでいくのには……。正論を吐くことのうっとうしさに加えて、「護憲派」の大物たちも、火の中の栗を拾おうとしない。だから、というわけではないが、ブログ「そいつは帽子だ!!」で話題になった、石原スルー大演説会をせめて、出版労連あたりがひらいてくれればと夢想する次第。

2007年2月 5日 (月)

気力と仕事

Photo_28 気力充実していないとなかなかいい仕事はできないもの。今日、ゲラを返してきたが、生活リズムが崩れているのが、少し影響している。

あまりこういうことを書き連ねてもいい気分にはなれないが。幸い(?)あと一章分だけ残っている。思想的には賛同できるのだから、ご迷惑をおかけしないようにしなければと思う。画像は、この仕事の指定書。実は、タイトルと書名をぼかしたので何が何やらわからなくなっているのが間抜けだが。

2007年1月23日 (火)

仕事やでぇ!

仕事が続いた。

実は、21日にゲラを1本宅配便で出してきたばかり。今日の午後2時に無事到着とのこと。
一昨年からちょくちょくいただいている、
『日本労働運動資料集成』
今回は第2巻 1947~49年のうち、1948年前半分。

公務員から争議権を奪った政令201号をめぐっての国労の職場放棄闘争は、地名と人数の連続である。

Photo なにしろ、学校を出てまだ間もない見習いの少年が、「合宿所に行け。同志が待っている」「帰りには赤短靴をやる」と言われて行ってしまう。共産党関係の人たちの家に泊めてもらう形で逃避行を続けるが、同志は来ないし、食糧はないし、で結局逃げ出し、親に連れられて出頭したというような記録。少年十字軍を思わせるような経過――

別のページでは、小本線などという聴きなれない路線が出てくる。戦時中の突貫工事で押角トンネルが素堀りのままだったため国労が運行を拒否するのである。ひょっとすると、

駅長:「青の洞門」を知らねのが。素堀りだど。今でも使われてるど。だから大丈夫だって。

組合側:馬鹿こくでねえ。あれは小説だべ。それに俺だづの機関車が通るんだど。あんだら、何見てるんだじゃい。

くらいの問答があったかもしれない。

地図を見ると、険しい山の川沿い。現在、岩泉線の駅として残っている押角駅はかつてはスイッチバックになっていて、そういえば秘境の駅として、時折テレビで取り上げられていた。

当時、鉄道の争議がショッキングだったのは、「国鉄一家」といわれる体質にもよるのかもしれない。なにしろ、北原白秋作詞・山田耕筰作曲「鉄道精神の歌」では、

いざ奮へ、我等、我等ぞ、大家族二十万人、奮へ我等

Photo_26 とあるくらいだ。家父長的な大家族の一員たるべき少年鉄道員がよりにもよって職場を放棄し、怠業行為をやる……。もっとも、組合側も、近代的な個の結合だったわけでもなかったかもしれない。大塚久雄門下の労働法学者・藤田若雄が指摘したように、誓約共同体としての労組という視点よりも、「同じ釜の飯を食っているのだから」「先輩の言っていることが聴けないのか」という家族主義に立脚していたのではなかったか。

いわゆるガリ版はそれほど読みにくいものではない。紙の劣化こそ問題だが、産別民同グループのある文書など、きれいで読みやすい筆跡なのに驚く。

活版でも何より活字のタイプが違うし、現在の文章に慣れたものからすると、読点で句点を代用する形式の文章は、面白い。昨年、別系統で、アメリカの学者が日本の労使関係論研究史をまとめたものの訳を校正したことがあるが、「社会政策学会趣意書」など原資料にあたってみると、やはりマルでなくすべてテンだったことを思い出した。

原資料は誤植の山。労組の機関紙でマ元師というのが大きな初号活字で見出しになっていたりする。ただ、内容を読み込むのに熱中しすぎるのは禁物で、われわれわれれれになっている――これはゲラを印刷した印刷所のミスプリント――のを見逃したりしかねない。一瞬ヒヤリとした。

――少し、しゃべりすぎたかもしれない。

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