憲法の守りかたについて
憲法労組懇というところが署名を集めている。私自身も署名したのだが、ただ、どうにも割り切れない感情はないではない。
「憲法9条の改悪を行わないで下さい」という文面(ビラの裏にある)は、腰が引けすぎていないか。団塊世代で学生運動の経験もあるはずの人たちがよくこの文案を通したな、と思う。
あるいは請願というものを「お願えしますだ」くらいにしか思っていないではないか。清水幾太郎の「いまこそ国会へ」をひきあいにだすまでもなく請願はれっきとした権利なのである。「改悪」という言葉自体、ある程度の法学的素養を備えた人間なら、「あーあ。それをいってしまうと」と言う気分になる。自民党には弁護士出身の議員が何人もいる。その前にこのような文面をつきつけたところで、「改悪はそちらさんの解釈でしょう」といわれればひとたまりもないではないか。
誤解を避けるために行っておくと、私は護憲派である。現行憲法を守ろうという願いの切実さも十分わきまえているつもりだし、この署名運動に携わっている何人かの知り合いは真摯な動機であることも否定しない。だからこそ、その願いをうまく法学的な次元に着地させることを軽視されているのが、残念なのである。せめて「改正」とかぎカッコで表現するか、改訂とでもするか、考えられなかったのだろうか。
よく、街頭でのボードにマグネットを張る「投票」があるが、あれが統計学の意味からは何の意味もないのと、今回の請願文がすこし関連しているような気がしてしようがない。
もうひとつは、「意見広告運動」のチラシの端っこである。イラク訴訟のニュースレターに同封されていたもの。短歌・狂歌・川柳を募集というのだが、これをみたとき、何かいやな気分がした。
確かに石川逸子は優れた詩人かもしれないが、運動側が、募集しているものを独立のジャンルの芸術(第二だか第三だか知らないが一応芸術だろう)とみなしているのであれば、歌壇や柳壇から第二の選者を呼ぶだろう。それを中山千夏とは……歌手時代の彼女の曲は好きだったし、エッセイも悪くないけど、散文のコンテストではないのだよ。
かつて自称「プロ2ちゃんねらー」が、新聞歌壇を批判したとき、歌を数える単位である「首」を知らないのか、「句」を使っていたことがある。それと違わないのではないか。
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